小田急線の開通

 1922(大正11)年、利光鶴松らが出願した東京・小田原間の高速電気鉄道敷設が認可されます。利光と親しい村野常右衛門も土地買収交渉に加わりました。1927(昭和2)年、小田原急行鉄道が開業し、市域には新原町田駅、鶴川駅が、昭和4年には玉川学園開校にあわせ玉川学園駅が設置されました。
 横浜鉄道の開通により、横浜・八王子間の中継地としての商業経済に陰りが見えていた原町田にとって、小田急線の開通は経済発展上、重要な意味を持っていました。また、相模原が軍都化されると、原町田に関係者が多く居住するようにもなりました。

史料
小田急遅延の謝罪状小田急遅延の謝罪状小田原急行鉄道社長の利光鶴松から村野常右衛門に宛てられた書簡です。小田原急行は1927(昭和2)年4月1日に開通しましたが、開通初日から車両などのトラブルが続き、ダイヤに大幅な遅れが生じてしまいました。そのことを謝罪しています。
玉川学園駅玉川学園駅小田原急行の開通から2年後の1929(昭和4)年4月1日に、玉川学園駅が新設されました。第1回の入学式を1週間後に控えたタイミングでの開業でした。学園側が駅敷地・駅舎を提供し、1か月200円の売上金を保証することを条件に、小田急側が駅新設に応じたといわれています。