町田市の誕生

 1954(昭和29)年4月1日、町田町と南村が合併し、改めて町田町が新設されました。前年に公布された「町村合併促進法」の施行後、都内で最初の町村合併でした。
 約4年後の1958年2月1日に町田町、鶴川村、忠生村、堺村の1町3村が対等合併して町田市が誕生しました。この町村合併、市制施行の背景には、地方自治の拡充をめざす国や都の方針があり、1956年に「新市町村建設促進法」、1957年に都知事による1町3村の合併勧告、「首都圏整備法」などがありました。各町村でも賛否両論・紛糾があり、議論を重ねた末の合併でした。

史料
町田市役所開庁式記念写真町田市役所開庁式記念写真町田市が誕生した1958(昭和33)年2月1日の開庁式の記念写真です。右から諏訪正賢(堺)、佐藤順正(忠生)、青山藤吉郎(町田)、金子良介(鶴川)の順に旧各町村長が並んでいます。初代の市長には青山町田町長が無投票当選で就任しました。
鶴川村役場鶴川村役場現在の鶴川市民センターより200mほど西にありました。町田市誕生後は鶴川支所として使用されました。現在は大蔵中村児童遊園となっていますが、石垣と掘抜き井戸の跡が残っています。