団地開発

 町田市誕生後の課題は、どのように都市開発を進めるかにあり、それを担ったのが初代市長青山藤吉郎でした。市街地開発区域に指定された町田市は、1961(昭和36)年に都市総合計画を策定しますが、多摩ニュータウン開発計画によって市の都市計画は何度も見直しを迫られながら、国内有数の規模となる団地住宅都市へと膨張・変化します。
 主体的な計画を策定できずに都市開発・団地建設が進む状況に、自治体の危機を訴えたのが、二代目市長大下勝正でした。市長就任から半年ほどで「団地白書」を刊行し、団地開発の実態を分析したうえで、急激で無秩序な団地開発がもたらす問題を世に訴えました。

史料
建設中の鶴川団地建設中の鶴川団地東京オリンピックや多摩ニュータウン開発に伴う水道整備で、市域に利根川の水が引かれることとなり、市域における団地開発は加速化します。その最初が1964(昭和39)年に造成を開始した鶴川団地でした。
団地白書団地白書正式名称は『団地建設と市民生活』です。町田市が都市開発の犠牲となり、自治体本来の機能を喪失してしまうとの危機感から刊行されました。「続々と勧められる住宅団地の建設(中略)それは都市の無秩序な急膨張にほかならなかった」と団地建設ラッシュを批判しています。