町田市/町田デジタルミュージアム

3Dパノラマ紹介

旧永井家住宅

町田市小野路町にあった典型的な多摩丘陵の民家です。解体調査により17世紀後半に建てられたことが判明しました。桁行8間1尺4寸、梁間4間、寄棟造、茅葺の正面に半間の土庇、背面には0.6m幅の下屋、左側面に1.36m幅の下屋を設け、屋根を葺きおろした形式です。平面は3間取広間型で左手3間を土間とし、床上部は下手2間半が「ひろま」、上手2間のうち前側2間半が「でい」、後ろ1間半が「へや」となります。床は「でい」が板敷、「ひろま」と「へや」は竹簀の子で、天井は3室とも竹簀の子天井です。茅葺屋根の軒が深く、窓の少ない閉鎖的な造りに特徴があります。国指定重要文化財です。

旧永井家住宅

間取り図

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旧荻野家住宅

江戸時代末期、町田市三輪町に医院として建てられました。桁行6間2尺、梁間4間半の一重入母屋造で茅葺妻入の形式です。この住宅は「前ダイドコロ」と「後ダイドコロ」の2つの土間を備えています。医院としては「前ダイドコロ」が待合室、「チョーゴザシキ」が診察室として利用されました。「前ダイドコロ」には街道筋の町家に備わる揚戸が、「チョーゴザシキ」には格子戸が設けられています。「六畳」「オクザシキ」には欄間や平書院などの繊細な作りがみられます。江戸時代の医業に由来する特徴を備えた医家であるとともに、間取や表構の建具等など町家に近い特質を備えた希少な農村部の医家として貴重です。東京都指定有形文化財です。

旧荻野家住宅

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西谷戸横穴墓群

1959年の東京都による調査で7基が調査され、三輪南遺跡群の発掘調査に伴って1982~1983年に行われた再調査で新たに2基を確認、合計9基の横穴墓が調査されています。鶴見川支谷の西谷戸(通称たたら川)を望む小丘陵南西斜面に立地します。圭頭太刀(けいとうたち)、鉄鏃、鉄釘などが出土しており、ガラス製の玉が多量に出土した横穴墓もありました。玉は紐を通して繋げ、装飾品として使われていたと考えられています。東京都の史跡に指定・整備されており、見学することができます。

下三輪玉田谷戸横穴墓群

1927年と1959年、1972年の3次にわたる調査がおこなわれ、現在まで4基の横穴墓がみつかっています。立地は白坂や西谷戸と同様に鶴見川支谷の谷戸斜面に位置していますが、谷戸最奥部の分水嶺となる丘陵上部(標高60m前後)に築造されている点で他と異なっています。また、横穴墓内の作りも玄室(げんしつ)の棺座(棺を納めるため段などの仕切を施している)の天井から側壁にかけて柱や梁などを表した「家形彫刻」を有する特異な構造を持ったものがあります。主な出土遺物は鉢形の黒色土器や須恵器壷などがあります。東京都の史跡に指定されています。