ある日の夕食のあと、学校で昔の益田のことを勉強した太郎は、お父さんに話しかけました。
「お父さん、最近、〈中世の面影の残る町益田〉とか、〈中世文化の薫る町益田〉とか、よくパンフレットやポスターで見るけど、中世って何?」
「日本の歴史の分け方でいえば、だいたい、鎌倉時代から室町時代をふつう〈中世〉と呼んどるね。今からおよそ九百年から四百年ぐらい前のころだよ。」
「ふーん、じゃあ、鎌倉時代や室町時代に、益田の町はぶちにぎわっていたっていうこと?」
「うん。それもあるだろうけど、それだけじゃないんよ。」
「えっ、どういうこと?お父さん、中世の益田のことをもっと教えて?」
「わかった。ええよ。太郎は、益田兼高という人を知っとる?」
「ぜんぜん。知らんよ。」
「益田兼高は益田氏四代目の殿様なんだけど、この殿様が平安時代の終わりごろ(十二世紀の末)に、益田の地にやってきたんだ。」
「お父さん、その人の名字をとって、この地を〈益田〉と呼ぶようになったんだね。」
「太郎、それは逆だよ。兼高は元々〈御神本〉という名字だったんだけど、益田という名の土地に来たので、自分の名字を〈益田〉に変えたんよ。その兼高は住吉神社を創っている。」
「住吉神社って言ったら、七尾山にあるお宮よね。僕、知っとるよ。それなら、益田東高校近くの医光寺とか萬福寺も兼高の時に創られたん?」
太郎は学校で習ったことを自慢げに言いました。
「いや、残念ながら、兼高の時にはまだできてないんだ。」
「なあんだ。まだか。」
がっかりしている太郎を見て、父は目を細めて少しだけほほえみました。
「でも、太郎はよく知ってるね。萬福寺や、医光寺のもとになる崇観寺ができたのは、十一代目益田兼見の時だ。それに、今、国の指定史跡になっている〈三宅御土居〉ができたのもそのころだよ。」
三宅御土居(想像図)
「僕、三宅御土居って聞いたことがある。明誠高校のあたりにあるんでしょう。でも、三宅御土居って何なん?」
「三宅というのは御土居の建っている地名だよ。御土居というのは大きな土塁(※敵や動物などが入ってくるのを防ぐために、土を高く積み上げたもの)で守られた益田氏の殿様が住んだ館だよ。」
「お父さん、分かりやすい絵地図のようなものないん?」
「持ってくるから、少し待っときんさい。」
お父さんは、奥の部屋から昔の益田の様子が書かれている地図を取り出し、説明を始めました。
「あった。あった。太郎、これを見てみんさい。」
「お父さん、下市、中市、上市、これって今、バスが通る道じゃろう。だいたい分かるよ。七尾城のふもとには堀(※敵が入ってくるのを防ぐために、城や建物のまわりにつくられたみぞ)があったんか。水源地の所じゃね。」
「そう。だから、益田小学校の横にある橋を堀川橋って言うんだ。」
当時の七尾城の周りの様子(想像図)
「この絵地図、おもしろいね。ここが妙義寺、ここが萬福寺、ここが三宅の御土居か、今と場所が変わっていないから、ようわかるね。」
「そして、有名な雪舟が益田に訪れたときの殿様が、十五代目の益田兼堯だ。」
「すると、医光寺や萬福寺の雪舟庭園は兼堯の時にできたん?」
「そうだよ。雪舟は兼堯の肖像画をかいているよ。」
「そうなの。何だか、益田はとっても平和な町だったんだね。」
「いやいや、そうでもないぞ。中世という時代は戦がひんぱんにあり兼堯はとても強い武将だったんだよ。それに、二十代目の益田元祥は、関ヶ原の戦いに参戦しているよ。」
益田元祥像(島根県立石見美術館提供)
「ぼく、その戦いのこと、知ってるよ。確か、東軍の徳川家康が勝つよね。」
「そう。元祥はとなりの毛利氏といっしょに、負けた西軍について戦ったんだ。しかし、元祥が優れた武将であることを家康は以前から知っていた。そこで、戦いの後に元祥に対して、領地をそのままにして自分に協力してくれるようすすめた。でも、元祥は断って毛利の家老(※家来のうち最高の地位にあった役職)として益田の地を離れ、おとなりの山口県の須佐に移るんだ。」
「えっ、益田から殿様がいなくなっちゃったんだ。」
「そうだよ。その後、新しい殿様も浜田に移り、益田は商人の町になった。そのため、江戸時代に益田の町は大きく変わることなく、中世の城下町がそのまま今に伝わったんだよ。」
「なるほど、そういうことか。」
「そう、さっき、太郎が絵地図を見たとき、今と似ているからよくわかるって言っただろう。実は、それがすごいことだし、全国でもとても珍しいことなんだ。」
「そうなのか。昔の様子が今でも見られるということじゃね。」
「そうだよ。今、七尾城のふもとの町に行ってみんさい。入り組んだ複雑な道が残ってるよ。七尾城跡、三宅御土居跡、そして複雑な小さな道、この三つがセットで残っているから、益田は中世の城下町と言われているんだ。」
「よくわかったよ。お父さんの話を聞いていたら、何だか益田が違って見えてくるね。」
「まだ、驚くことがあるぞ。実は、中世の益田には港があったんだ。」
「えっ、どこにあったの?」
父は、益田川が日本海に注ぐ中須町のあたりを指さして言いました。
「ここにある中須西原・東原遺跡からは、港の跡とたくさんの陶磁器が出てきたんだ。」
「陶磁器って何?」
「焼き物のことだよ。何とその焼き物は、遠く朝鮮や中国、現在のタイやベトナムの方から運ばれてきたものだ。」
「お父さん、それって、益田の港はかっこよくいうと、国際貿易港だったん?」
「その通り。中世の益田は商売で世界とつながっていたんだよ。」
「お父さん、ぼく、益田って町は、今まで何もない町だと思っていたけど、いろいろとすごいものが残っている町なんだね。何か、ぶちいばりたい気分だよ。」
「べつにいばらなくてもいいけど、太郎には、昔の人が残してくれた遺跡や遺物をいつまでも大切にする人になってほしいな。」
「うん。わかったよ。」
「よし、こんど、今話した益田の町を一緒に歩いてみるか。もっと、いろいろな発見があるかもな。」
「やったあ。約束だよ。お父さん、ありがとう。」
太郎は、目を丸くして喜びました。
太郎は、今からその日が待ち遠しくてしかたありません。きっと、太郎のまだ知らない「益田」に出会うことができるでしょう。
七尾城趾からの展望
☆もっと調べてみたいときには、雪舟の郷記念館の人に聞いてみましょう。