「お母さん、今日の給食にメロンが出たよ。すっごく甘くておいしかったなあ。大森くんなんて皮がぺらぺらになるまで食べてたよ。」
益田メロン
「そう、それはよかったわね。あのメロンは高津の飯田というところで作られたのよ。」
「知ってるよ。飯田はメロンを作るのにとてもいい土なんだって。社会科で習ったんだ。」
「よく知ってるのね。でもね、おばあちゃんから聞いたんだけど、昔はメロンを誰も作っていなかったそうよ。」
「そうなの?おばあちゃん。」
「そうだよ。メロンができるまでには、いろいろと苦労もあったんじゃ。」
「どんな?おばあちゃんの話、聞きたい。ねえ、聞かせて。」
「それじゃあ、話してみるかのう。もうずいぶん昔のことになるがのう。」
おばあちゃんは、昔の飯田地区のことをゆっくりと語り始めました。
昔、飯田では、朝早くから夜遅くまで細々と野菜を作り、朝一番に駅前の朝市に荷車を引いて売りに行きました。売りに行くのはお母さんの仕事。参観日にも来てもらえなかったり、一緒に遊んでもらえなかったり、子どもたちは寂しい思いもしました。重労働から体を壊す人もいました。いっそのこと農業をやめてしまおうか、そう思ったことも何度もありました。
しかし、飯田の人たちは決して農業をあきらめませんでした。
「この地で生まれたからにはこの地で生きていく。飯田には農業しかない。農業で生きていくんだ。母親のためにも、子どもたちのためにも。」
そう決心した人たちは、もっとたくさんの野菜を作って、大きな市場に出荷し、もうけを大きくしようと思いました。そこで考え付いたのが、ビニールハウスです。ビニールハウスなら同じ時期に同じ作物がたくさん作れます。そこで、みんなで話し合うことにしました。
「みんなでビニールハウスを作って、たくさんの野菜を作ろうじゃないか。」
しかし、なかには反対する人もいました。
「うちの畑は、昔からずっと大切にしてきた畑だ。自分の畑は自分で守る。」
「ハウスにすると、今より畑が少なくなる。わしの畑は日当たりがよくて、いい野菜がとれるんじゃ。それを手放すわけにはいかん。」
「借金をしてまでハウスは作れん。失敗したらどうするんじゃ。」
今までのやり方を変えていくのは、とても難しいことでした。それでもあきらめることなく、何度もお願いに行ったり、夜遅くまでお父さんたちで集まって話し合いをしたりしました。何度も繰り返していくうちに、ついに、飯田の人みんなの気持ちが一つになりました。だれもがハウス栽培に希望をもって、新しい野菜作りをスタートさせたのです。
ハウスと同じように、飯田の人たちが昔から思っていたのは、「飯田の名産を作りたい。」ということでした。まず、夏みかん作りに挑戦しました。しかし、ようやく出荷するまでになったときに、大雪に見舞われ、せっかく育ててきた夏みかんは全滅してしまったのです。飯田の名産づくりは、初めからつまずいてしまいました。
飯田地区のビニールハウス
「ハウスに適した作物は何だろうか。」
農家の人たちは、もう一度話し合いを始めました。そんな中、宮崎県であるものを見て、胸がときめきました。
「これだ!」
そこにあったのは見事に丸々と育ったメロンでした。農家の人たちは、甘い香りのするハウスの中で、お母さんたちが笑顔でメロンを収穫する姿が目に浮かぶようでした。
「メロンでいこう!」
みんなの目が輝きました。それから、メロンを作っている地域へ何度も足を運び、メロン作りについて勉強を始めました。こうして、メロンのハウス栽培がスタートしたのです。
はじめに作ったのは「アイボリー」という品種でした。しかし、メロン作りを始めたばかりの農家の人たちにとっては、苦労の連続でした。そして、四年間の苦労の末、ようやくメロンが実を付けました。しかし、そのメロンを見て、みんなはショックを受けたのです。それは、宮崎で見たメロンとは程遠い小玉で、とても商品にはならないものでした。
「夢にまで見たあの甘い香りのするメロン。すぐにでもできるはずだったのに…。」
「この四年間の努力はなんだったんだ。やっぱりだめだったか…。」
多くの農家の方がメロン作りに不安を感じてきました。島根県の役所にも相談に行きましたが、なかなかいい解決策が見つかりません。
「せっかくみんなの気持ちが一つになったんだ。このままあきらめるわけにはいかない。今に見ていろ。見返してやる!」
飯田の農家の人たちは、あきらめてなるものかとさらに気持ちを一つにしていきました。
そしてたどりついたのが、「アムスメロン」です。これまでの苦労がようやく実り、できあがったものは、自分たちが夢に見た丸々としたメロンでした。しかも、ほっぺたが落ちるほど甘く、みずみずしいメロンだったのです。みんなの目から涙がこぼれました。
大阪の市場に出荷した飯田生まれの「アムスメロン」はとても評判がよく、大成功を収めました。その後ももっとおいしいメロンをたくさんの人に食べてもらおうと勉強し、みんなで教え合いました。また、出荷の時には厳しくチェックするために共同選果(※共同して果実の大小やよしあしを選び分けること)が行われるようになりました。飯田の名産品アムスメロンは、今では品質、生産量共に島根県一となり「島根メロンの顔」にまでなったのです。
収穫前のメロン
「おばあちゃん。一つ一つのメロンに農家の人の思いがつまっているんだね。」
「そうだよ。だから、益田のメロンは日本一おいしいメロンなんだよ。」
「だから、おかあさんも、このメロンが一番好き。」
おいしいメロンを口にして、三人の顔がほころびました。
飯田地区の農家の人たちは、みんなが「おいしい」と言ってもらえるメロン作りをめざして、心を一つにして絶えず挑戦を続けています。
メロンの収穫
☆もっと調べてみたい人は、西部農林振興センター「石西今昔物語~特産品誕生秘話~」のホームページを見てみましょう。
(http://www.pref.shimane.lg.jp/seibu_norin/konjaku/tokusan_hiwa.html)
そのほか、「JA西いわみ」のホームページにも紹介があります。
(http://nishi-iwami.ja-shimane.gr.jp/tokusan/index.htm)
*コラム*
飯田地区では、働くお母さんのための健康、子どもたちの教育の問題にも取り組み、明るい地区作りを行ってきました。その活動は昭和六十年「農林水産祭村づくり部門」で「天皇杯」を受賞するほどの評価を受けました。
飯田地区では、働くお母さんのための健康、子どもたちの教育の問題にも取り組み、明るい地区作りを行ってきました。その活動は昭和六十年「農林水産祭村づくり部門」で「天皇杯」を受賞するほどの評価を受けました。