今日は航太の誕生日。お祝いにお母さんがごちそうを作ってくれるというので、スーパーへ買い物に来ました。
「航太、誕生日のごちそうは何がいい?」
「そうだなあ、カレーがいいかな。ハンバーグもいいなあ。やっぱり焼き肉がいいや。」
「いいわ。じゃあ、今日はふんぱつして焼き肉にしようか。」
「やったあ。お母さん、あそこに〈まつなが黒牛〉って旗が立ってるよ。あれって、テレビで見たすごく高いお肉のこと?」
「ううん。それは、松阪牛。まつながっていうのはこの牛を育てている人の名前なんよ。」
航太が知っている松阪牛や島根和牛など、有名な牛肉には、牛が育った地名がついていることがよくあります。しかし、育てた人の名前がついてるお肉というのはとてもめずらしいのです。
「航太、それに、この〈まつなが黒牛〉って益田産なんよ。東京や大阪では大人気のお肉なんだって。」
航太は〈まつなが黒牛〉が益田で育てられた牛だと聞いて、びっくりしました。
「お母さん、ぼく、〈まつなが黒牛〉が育っているところを見てみたいな。」
航太はお母さんにお願いして、〈まつなが黒牛〉が育てられている松永さんの牧場に見学に行くことにしました。
「うわあ、すごく広いや。あの大きな建物って、みんな牛のお家なのかなあ。」
「いらっしゃい。航太くん。私がこの牧場の代表の松永和平です。よろしく。ここはね、東京ドームが九つ入る広さがあるんだよ。そして、うちには五千八百頭の牛がいるよ。」
丘の上から広い牧場をながめながら、松永さんは話し始めました。
「初めからこんなに大きな牧場だったわけではないんだよ。おじさんがこの仕事を始めたころは、ここのほとんどが荒れ地だったんだ。牛だって百頭ほどしかいなかったし…。」
松永さんが牧場の仕事を始めたのは、今から三十八年前です。牧場を経営していた松永さんのお父さんが事故にあい、大阪で会社勤めをしていた松永さんが急にあとをつぐことになったのです。しかし、「お父さんの仕事をついで、同じように牛の世話をするだけではいやだ。」そう思っていた松永さんは、弟の直行さんと相談して、普通の会社と同じように、毎月決まった給料がもらえ、休みも取れる働きやすい環境にしようと考えました。それまで動物を育てる畜産という仕事は生き物が相手なので休みが取りにくく、なり手が少なかったのです。しかし、松永さんたちの牧場での新しい働き方を知って、いっしょに働きたいという仲間が増え、それにあわせて、牛の数もどんどん増えていきました。
そんな松永さんたちのもとに大変なニュースが飛びこんできました。法律が変わり、外国から安い牛肉がたくさん輸入されることが決まったというのです。「アメリカやオーストラリアから、自由に安い牛肉が輸入されるようになったら、日本中の牧場がつぶれてしまう。」松永さんはそう思いました。実際、たくさんの牧場主がこのために仕事を辞めなくてはならなくなったのです。
「アメリカに行こう。」
競争相手のことを知らないと勝負にならない。そう思った松永さんは仲間とアメリカの牧場を見て回ることにしました。思っていたとおり、アメリカの牧場はとてつもなく広く、目で見えるずっと先まで牧場が続いています。そこで育てられた何百万頭という牛の肉は、店頭に並ぶと、値段も安く、その上、食べてみると、それまで松永さんたちが育てていた牛肉の味とよく似ていました。日本に帰った松永さんは、仲間と何日も何日もかけて話し合いました。
「今のままじゃあ、だめだ。外国と同じような牛肉では、勝てない。」
「育てるのは大変だけど、外国がまねのできないようなおいしい肉になる牛を育てよう。」
日本中の牧場が大ピンチになったこのできごとの中、松永さんたちは、おいしい肉が取れる牛をどんどん買い、増やしていきました。ピンチを逆にチャンスにしようと考えた松永さんたちは、おいしいお肉を食べたいと思っていた人たちの心をつかみ、成功したのです。
「すごいね。松永さん。自分の目で確かめるために、アメリカまで行くなんて。」
「だけどね。このできごとの後、もっと大変なピンチがやってきたんだ。」
BSE(※牛海綿状脳症。牛の脳の中に空洞(穴)ができ、スポンジ状になる病気。狂牛病とも言われている)という牛の病気が日本でも発生したのでした。病気にかかった牛の肉を食べると、人間にもうつるといううわさが流れ、日本中の食卓から牛肉が消えてしまったほどでした。せっかく育てた牛が売れなくなってしまったのです。それでも、松永さんはあきらめませんでした。
「日本から牛肉を食べる習慣は絶対になくならない。その牛がどんなものを食べて、どんなふうに育ったかが分かってもらえれば、きっと安心してうちの牛肉を食べてもらえる。」
松永さんは、仲間や獣医さんたちと協力して、一頭一頭の牛が生まれてからどんなふうに育てられたかがすぐに分かるようなしくみを作りました。そして、とてもきびしい国の審査を受けて合格した牛にしか与えられない「JAS牛(※誰が、どこで、どのように生産したのかを消費者に情報提供できる牛)」という資格を取ることができたのです。
こうして誕生したのが〈まつなが黒牛〉なのです。おいしくて、安心して食べられる牛肉だという評判がどんどん伝わり、うちでも売らせてほしいというお店が増えていきました。
そして、二〇〇八(平成二十)年、松永さんたちの取組はとうとう内閣総理大臣賞という日本一の賞を受けることになったのです。
「おじさんたちが、自分たちの育てた牛に〈まつなが〉という自分の名前をつけているのは、絶対安心して食べられるおいしい牛肉だという自信と責任をもっているからなんだ。」
松永さんの話を聞いて、航太はなんだかうれしくなりました。そして、だれかにこのことを話したくなりました。
「安心で、おいしい牛肉を 益田から全国へ」今も松永さんたちのチャレンジは続いています。
☆もっと調べてみたいときには、松永牧場に聞いてみましょう。さらに詳しく話を聞けたり、多数の写真を見たりでき、参考になります。
*コラム*
松永牧場や市内の他の牧場が飼っている肥育牛の数は、島根県内で最も多くなっています。
松永牧場や市内の他の牧場が飼っている肥育牛の数は、島根県内で最も多くなっています。