みなさんは、益田市の花が何か知っていますか。それは、日本水仙(※)です。十二月初旬から二月下旬にかけて、白いかれんな花を咲かせ、上品な香りをただよわせる花です。この水仙が「益田市の花」に選ばれたのは、鎌手地区の人々が自分たちの力で地区をよくしようとする取組があったからです。
日本水仙
※一重と八重があるが、水仙公園には一重の水仙が植えられている。
昭和の終わりごろ、“ふるさとを元気にしていこう”という活動が、日本の各地で盛んに行われるようになりました。
「なあ、公民館長さん。このままでは鎌手もさびれていく一方じゃ。鎌手のみんなが元気になるようなええアイディアはないかのう。」
「そんなら、昔からこの地区に咲いている日本水仙を増やして、水仙いっぱいの鎌手にしてみようじゃないか。」
そこで、一九八九(平成元)年、「鎌手地区水仙の花咲く里づくり推進協議会」をつくり、日本水仙を「鎌手の花」にするための取組を始めました。
「このかわいい水仙を、ぜひ、唐音海岸に植えていこう。毎年十アール(千平方メートル)ずつ広げていけば、きっとたくさんの人たちが、この鎌手を訪れてくれるぞ。ここには、唐音の蛇岩(※)もあるけえなあ。」
唐音海岸には国の天然記念物である蛇岩があり、地元の小中学生が遠足などでよく行く名所です。しかし海岸の景色はいいけれど、そのほとんどが岩場と雑木林で、水仙を植えるにはあまり適していない場所でした。
唐音の蛇岩
※約一億年前にできた唐音海岸の中を、幅一mほどの安山岩脈がくっ曲しながら貫いている。あたかも岩盤の上に横たわる大蛇のようであることから「唐音の蛇岩」と呼ばれている。昭和十一年に国の天然記念物に指定されている。
ここから、地域の人たちの地道な活動が始まります。
まず、球根を植える場所を作るため、海に面した急な斜面の木を切り、根を掘り、土を耕しました。球根は海岸近くで自然に生えている水仙の球根を掘り出します。また、数を増やすために球根の栽培畑も自分たちで作りました。
「植えるのはええが、それだけでうまく育つんじゃろうか。」
「栽培方法について、勉強せんといかんのう。」
こうした声をうけ、さっそく水仙の栽培方法や管理の仕方などについて、研修会を開いて勉強しました。
さらに、水仙の数が増えてくると、こんな声が聞かれるようになってきました。
「この日本水仙を出荷することはできんかのう。島根県はもちろんだが、広島市などの都市で売ったら、多くの人が買ってくれるんじゃあなかろうか。」
「そうじゃなぁ、みんなで市場の様子を見たり聞いたりするために、出かけてみようじゃあないか。」
「他県には、水仙の公園をつくり、咲かせとる所もあるそうな。ぜひ行ってみたいもんじゃねぇ。」
鎌手の人たちは、自分たちの手で鎌手をよくしたいという思いを強く持っていたのです。
その結果、地元のJA鎌手支所の協力を得て、休耕田や畑に水仙を植えたりする活動も始めました。また品質にも気を配り、今では県内だけでなく広島や神戸にも出荷し、高い評価がもらえるようになりました。取組の成果が次々と生まれてきたのです。
水仙の植え付け
「私たちも、何かできないかなあ。一緒に活動できたらいい思い出になるし、地域のみなさんとのいい交流にもなるよね。」
こうして、一九九五(平成七)年には、鎌手中学校の三年生が、卒業の記念として活動に参加しました。やがて、鎌手中学校の全校活動に広がり、小学校や老人会も一緒に栽培活動をするようになりました。「毎年十アールずつ広げていけば」を合言葉に、木を切ったり、草をかったり、球根を植えたりという活動を、毎年毎年、地道に続けました。大人が中心となって続けていた活動が、子どもたちにも広がってきたのです。
小中学生の活動への参加
二〇〇一(平成十三)年には、ロードレース&ウォーク大会が始まりました。たくさんの人に、鎌手の水仙を見てもらいたかったからです。大会を重ねるごとに、県内外に唐音水仙公園の名が広まり、大会が終わった後もたくさんの観光客が訪れるようになりました。すると、水仙公園への道路が混むようになってきました。
「道路が混んでしまって、にっちもさっちもいかんらしい。何とかならんかのう。」
「そりゃあ大変だ。私らあで交通整理にでかけようや。」
「よし、それじゃあ、交通整理をする人を集めようじゃないか。」
「そうじゃ。そうしよう。」
鎌手の人たちの行動はすばやいものでした。すぐに、ボランティアを集め、約一か月間交通整理を行いました。それは、観光客のみなさんに気持ちよく水仙公園を見てほしいという強い思いからでした。真冬の寒さの中の仕事は、楽なものではありませんでしたが、観光客のためにがんばって続けました。
そんなある日、観光客の方からこんな言葉をかけてもらったのです。
「こんなに広う、よう植えんさったねえ。」
「ありがとうございます。」
「寒かったけど楽しませてもろうたよ。水仙のかわいい姿や香りはもちろんじゃが、海や山はきれいだし、空気もおいしいねえ。」
満面の笑みを浮かべて、話してくれました。
「私たちの住んでいる益田に、こんなに素晴らしいところがあるなんて知らなかったよ。」
その言葉を聞いた時、冷たい北風に震えていた体が、うれしさとほこらしさで心から温かくなるのを感じました。
気がつけば二十年以上、鎌手地区の人々の活動が続いています。今では三ヘクタールの広さに二百万本を超える水仙が植えられ、「水仙の花咲く里」として知られるようになりました。こうした長い間の取組が認められ、国や県からたくさんの賞をもらいました。そして、二〇〇五(平成十七)年からは、この水仙が「新益田市の花」となったのです。鎌手地区の人々が、自分たちの手で育て、自分たちで広めていった取組の輪。こうした長年の取組が認められたことは、何よりのはげみと自信になりました。
青い海と緑の草木に囲まれて広がる白い水仙の花畑。少し立ち寄って、高島が浮かぶ冬の日本海とともにながめてみませんか。この水仙公園をつくった人々の努力を思いながら…。
☆もっと調べてみたいと思った時には、鎌手公民館の人に聞いてみましょう。