みなさんは、トマトが好きですか。また、私たちの住んでいる益田市は、トマトの生産量が県内で一番多いことを知っていますか。でも、益田市のトマト栽培には、いろいろな苦労があったのです。トマト栽培に取り組んだ平川浦政さんたちのお話です。
収穫前の新鮮なトマト
昭和三十年代のことです。当時、中吉田に住んでいた平川さんは、キュウリの栽培をしていました。しかし、いろいろな野菜を栽培することで、人々の食卓をもっと豊かにすることができないかと考えていました。
ちょうどそのころです。鳥取県米子市に旅行で訪れていた平川さんは、ある農家の畑で、たわわに実るトマトに気づきます。
平川さんは旅行を中止して、その農家に飛び込みました。同じ農業にたずさわる者として、あまりにりっぱなトマトの出来栄えに、話を聞かずにはいられなかったのです。
島根県益田市の農家だということを話すと、その農家の方は、親切にそのトマトについて教えてくださいました。農家の方のお話を聞いて、平川さんは驚きました。
当時、トマトの栽培では、冬場の気温の低下に合わせて「加温(※熱を加えて人工的に温度を上げること。費用がかかるのが難点)」を行うため、ビニールハウスの中に暖房設備を設置することが、全国的には主流でした。しかし、驚くことに米子市のトマトは、「無加温(※人工的に温度を上げないこと)」で栽培されているにもかかわらず、とても見事なトマトが実っていたのです。
「暖房なしで、こんなりっぱなトマトが実るなんて。」
「益田でも、暖房設備を使わずに、栽培できたら、暖房費を節約できるし、トマトも安く出荷できる。」
早速、この栽培方法を実践している、東京の竹山眞暢先生を紹介してもらうことができました。
ここから平川さんの挑戦が始まります。何度も足を運び、苗の育て方から学び始めました。何しろ初めて耳にする方法です。当時の農協や県の農業普及所にも、相談に行きました。
「そりゃあ平川さん、無理でね。この益田は日照時間こそ長いが、冬場の気温は、零下(※零度(0℃)より温度が下がること)まで下がるで。暖房設備がありゃあ別じゃが。」
それもそのはずです。トマトが実をつけるには、冬場の最低気温は六度が限界だということは、全国の農家の間でも常識でした。益田市の最低気温は、六度どころか、零下二度まで下がることが普通だったからです。
あきらめきれない平川さんは、竹山先生に、益田市の一年間の気温を分析してもらいました。
「やはり、気温が低い冬場の期間が長すぎる。霜が降りるほどの気温で、これまでトマトの栽培に成功した話は聞いたことがない。」
竹山先生の答えは残念なものでした。それでも平川さんは、あきらめません。
「米子でも、日によっては、益田の気温に近いことがある。もう一段階、さらに寒さに強い苗を作ることができれば…。」
ここから再び、平川さんの研究が始まりました。以前にも増して竹山先生の元に通い、もっと寒さに強い苗作りに取り組んだのです。
その研究の結果、種の発芽のさせ方、発芽後の育て方、水の与え方、畑に苗を植えるタイミングなどが、寒さに強い苗を育てるために、とても重要になるということが分かってきました。
寒さに強い苗づくりを目指して十年、ついに、初めて苗を畑に植える日がやってきました。それは、一九六六(昭和四十一)年一月二十六日のことでした。
「よし、今後の天気予報を見ると、もう大丈夫だ。」
そう判断した平川さんは、ようやく出来上がった四百本の苗を畑に植えました。平川さんは、これまでの苦労が報われた満足感でいっぱいでした。その後、トマトは順調に成長します。
しかし、三月三十日。朝五時、母親の声で飛び起きました。
「ちょっと、霜が降りとるでね!」
まさかの出来事でした。畑に植えてからの霜だけは、絶対に避ける必要があったのです。手塩にかけた四百本は、なんと全滅してしまったのです。
「せっかく、ここまで育てたのに。やはり、だめだったか…。」
しかし、それでも平川さんはあきらめません。
「いや、もう一度挑戦だ。問題点は分かっている。やるしかない。」
平川さんは、自分を奮い立たせ、また一から強い苗作りを決意したのです。
翌年、五百本のトマトは、見事にたくさんの実をつけ、ついに「無加温」のトマト栽培に成功したのです。市場では、平川さんが「無加温」で育てたトマトが、ひときわ輝きを放っていました。
その翌年から、平川さんたちは、三十年以上にわたって「無加温」のトマトの生産を続けています。研究を重ね、一つの苗から三回収穫できる農法、さらには四回収穫できる農法にも成功しました。
そして今、トマトの栽培は平川さんの息子さんたちの世代に引き継がれ、国営の農地開発事業として養液栽培(※)の技法で生産されています。さらに、日光を電動で遮断する機械や、育苗ハウスも新たに設置し、六農家で合わせて四万八千本の苗が植えられています。「ハウス桃太郎」が、その中心品種です。
養液栽培
※苗を植えたロックウール(立方体の形をした綿)に、養分の含まれた液体をコンピューター制御で流し込む栽培方法。
益田のおいしいトマトには、こんなお話があったのです。平川さんは言います。
「生産者にとって、理想的なものができることは大きな喜びです。一つひとつ階段を上がるつもりで、今後も取り組みます。」
トマトを食べるとき、このお話をちょっと思い出してみると、味がいっそう深まるかもしれません。
(育った苗木は天井からつるされ、その丈は2メートル以上にもなる。)
☆もっと調べてみたい人は、平川さんに直接聞いてみましょう。