「温泉の後は、やっぱりゆずっこじゃねえ。」
美都温泉から上がってきた人たちがおいしそうに飲んでいるのは「ゆずっこ」。「ゆずっこ」とは、ゆずの果汁の入ったジュースです。さっぱりとした甘味とさわやかなのどごしが人気です。
実は、益田市は、ゆずの一大産地なのです。では、どのようにして益田市は、ゆずの産地になっていったのでしょうか。
金谷地区のゆず畑
昭和五十三年。益田市美都町金谷地区。ゆずの苗木を持って一軒一軒家を回っている一人の男性がいました。篠原茂幸さんです。
「金谷でゆずを作ってみんかね。」
「ゆずは、年をとってからも簡単に作れる作物ですよ。」
「みんなでゆずを作れば、きっといいことになるのでいっしょにやらんかね。」
篠原さんの目は、真剣でした。
そのころ金谷地区は、過疎化と高齢化が急速に進行していました。そのことで地区の人たちは何度も集まって話し合いを続けていました。
「今のワサビ作りは、重労働じゃ。山に入っての作業は、正直つらい。」
「若いもんも帰ってこんし、ワサビもじきに作れんようになるのう。」
「これからは、わしら年寄りでも続けられるものを作っていけるといいんじゃがなあ。」
「このままでは、金谷はなくなってしまう。」
ちょうどそのころ、当時の美都町長が会議で上京した際、徳島県の剣山の近くにある木頭村のゆず栽培の話を聞いて帰ってきました。篠原さんの心を動かしたのは、町長の言葉でした。
「篠原さん、美都と同じような環境でゆずを作っている村があるらしい。ゆずは作りやすい作物で、しかも高齢者でも作れると聞いたんじゃが、篠原さん、金谷でやってみんかね。」
篠原さんたちは、さっそく話し合いを始めました。
「ゆず作りの件じゃが、どうするかのう。いい話だと思うんじゃが。」
「けど、ゆずはどう作るのか知っとるのかね。」
「肥料は、何をやったらええんじゃ。」
「それに〈桃栗三年柿八年、ゆずのあほうは十八年〉(※種をまいてから収穫するまでたくさんの手間と時間がかかるということ)ということわざがあるぐらいだから、本当に実がなるかが心配じゃ。失敗したらどうするんじゃ。」
「そもそもゆずなんかを買ってくれる人がおるんじゃろうか。」
篠原さんは、じっと目を閉じたまま考えていました。みんなの視線が篠原さんに集まりました。目を開けた篠原さんが言いました。
「やるしかない。やるしかないで。何もせんかったら、金谷の明日はない。栽培方法は、手探りじゃが、わしが調べるけえ。皆でやろう。」
新しいことに挑戦するしかないと考えた篠原さんは、この時、ゆずを作ることを決心したのでした。
篠原さんは仲間と共に、早速木頭村に出かけ、ゆずの苗木を取り寄せ、畑に植えました。最初に植えたのは九百五十本。一本一本の苗をていねいに畑に植えていきました。この日から篠原さんたちのゆず栽培への挑戦が始まったのです。
「ゆずの葉に虫がついとるんじゃが、どうしたらええんじゃろうか。」
「ゆずの木のとげのせいで、実に傷がついてしまうんじゃが。」
問題が次々に出てきました。篠原さんは、ゆずのことを考えない日はありませんでした。ゆずのために必要なことは何でも研究しました。分からないことがあれば、四国や九州まで調べに行きました。
そして、苗を植えてから三年。篠原さんの畑で待望の実ができました。
「おお、ゆずの実ができとる。まだ青いが、秋には黄色くなるじゃろう。」
篠原さんは、その実を我が子のように大事に大事に育てました。秋になると、ゆずは黄金色に輝く見事な色に変わりました。
「やったぞ。ついにできたぞ。わしらのゆずが。」
その実を手に取った篠原さんは、必死だった三年間のことを思い出し、何とも言えない喜びが込み上げてきました。目には涙が光っていました。
収穫間近のゆずの実
その後、ゆず栽培は、金谷地区から美都の全域に広がっていきました。順調にゆずの生産量も増え、農協の集荷場には、収穫されたゆずが続々と運び込まれてきました。ゆず農家の人も集まり、集荷場は活気にあふれています。
しかし、篠原さんは手に取ったゆずを見つめてため息をつきました。
「だめだ。これは傷がついとる。残念じゃが、市場には出せん。」
よく見ると、運び込まれたゆずの大きさがまちまちで、表面に傷がついたものもたくさんあったのです。
「傷がつくと商品価値が下がってしまうだげでなく、美都のゆずの信用も落ちてしまう。信用してもらえんと、市場で買ってもらえんのじゃ…。」
収穫を喜んでいるみんなの顔を見ると、よけいに心が痛みます。しかし、篠原さんは意を決したようにみんなに言いました。
「申し訳ないが、市場への出荷は、やめてもらう。ゆずの収穫の時には、実を傷つけないように一つ一つていねいにつみ取るようにしよう。」
それからというもの、一個たりとも傷のついたゆずを市場に出さないという強い信念で、篠原さんたちは一つ一つのゆずを厳しく検査していきました。それは気の遠くなるような作業でした。
集荷場に集められたゆず
こうして厳しく品質を管理し続けた結果、広島の青果市場ではこのような言葉が聞かれるようになりました。
「美都のゆずなら、箱を開けて見なくても大丈夫。品質に問題はない。」
篠原さんたちが、勝ち取った信用でした。それは、「美都のゆず」が認められた瞬間でもありました。
最初、九百五十本から始まったゆず栽培は、今では二万本を超えるまでに広がってきました。ゆずは、美都の人たちの努力でこれからもますます増えていきそうです。
「ゆずは、美都の宝物。」
これは、篠原さんの奥さん演子さんの言葉です。ゆずの収穫が始まるのは、毎年、十一月。その時、美都の町は、黄金色に染まったように明るくなり、最も輝く季節を迎えます。
美都物産金谷農産加工の皆さん
☆ゆずについて、調べてみたいことがあれば、美都町特産観光協会に聞いてみましょう。 「美都町 ゆずハンドブック」で調べることができます。
ゆずき(ゆずキャラクター)