匹見町民の森-生物の家を守る

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 ここは、「伊源谷」というところです。安蔵寺山の匹見町側に位置するこの森は、東京ドーム三十八個分の広さがあります。
 
伊源谷の地図
 
「おじいちゃん、早く行こうよ。」
 都会に住んでいる友太にとって、今日の山登りは楽しみでしかたがありません。
「友太、見てごらん。これがブナの木だよ。西中国山地の原生林の主は、ブナの大木なんだ。千メートル級の尾根によく発達したブナの林は、西日本の山では、とても貴重なんだ。」
「へえ。このブナの木、すごく大きいね。手を回しても全然届かないや。」
 なだらかな山の多い中国山地の中でも、西中国山地は雨や雪の量が多く、年間降水量は二千ミリメートル以上にもなります。そのため生物の種類がたいへん豊かで、大昔からいろいろな植物が茂った深い原生林でおおわれているのです。
 
伊源谷の深い森
伊源谷の深い森
 
「友太、ブナの木は大きくて、とても仲良しの木なんだ。」
「えっ、おじいちゃん、どういうこと?」
「ブナの木は、他の木や草と助け合ったり、ゆずりあったりしながら生きているんだよ。」
「ふうん。やさしいんだね。」
「そうだよ。安蔵寺山の原生林の中で、背の高い大きな木といえば、ブナ、アシオスギ(天然杉のこと)、ミズナラ、トチノキ、ヤマザクラ、サワグルミなどが代表だ。山の上の方に、ブナやアシオスギ、中腹にはミズナラやトチノキ、ヤマザクラ、谷沿いにサワグルミというように、それぞれ生える場所を分けあっているんだ。」
「へえ。それで、いろいろな植物がいっしょに暮らすことができるのか。」
「うん。背の高い木の深くもぐった強い根は、山の表面をがっちり固めている。そして、高いところに広く張り出した枝や葉は、林の中にほどよい日かげとしめり気をつくっているんだ。林の中を好んで生える背の低い木の仲間やいろいろな下草、それにたくさんのキノコやコケなどの生活を支えているのも背の高い木だよ。」
「とても頼りがいがあるね。」
「そうだよ。背の高い木が柱となって、〈生物の家〉である森ができているんだ。」
 
安蔵寺山の植生図
安蔵寺山の植生図
 
「おじいちゃん、この木のかげで少し休もうよ。」
「そうじゃな、わしらもこの木のお世話になるとするか。」
 友太たちが、休憩しているそばで、たくさんのクロモジの葉が風にゆれていました。クロモジは、西中国山地のブナ林の下に、かならずといっていいほど見られ、そのために西中国山地のブナ林は、「ブナ・クロモジ群落」とよばれています。クロモジの先には、幾重にも重なるようにたくさんの木が生い茂っています。
 
クロモジ
クロモジ
 
「何かアニメの〈もののけ姫〉に出てきそうな雰囲気だね。えっ、あれ何?おじいちゃん。」
 友太は、クロモジの木の先にある穴を指さして言いました。
「どれどれ。ああ、これは何か動物がすんでいた穴だな。」
「へえ。」
「安蔵寺山には、ツキノワグマやヤマネ、モモンガ、ムササビ、それにクマタカなどがすんでいるんだ。かれらに大切な巣穴をかしてくれているのも、ブナなどの背の高い木なんだ。」
「なるほど、ここでも大活躍だね。モモンガ、見てみたいなあ。」
「残念だが、モモンガは、昼間は木の穴の中で眠り、暗くなってから活動するんだよ。」 
モモンガ
モモンガ
 
ムササビ
ムササビ
 
 ホンシュウモモンガは、ムササビと同じリスのなかまの動物です。体の形や、生活のしかたもムササビによく似ています。体は灰色、ソフトボールぐらいの大きさで、とてもかわいらしい大きな黒いひとみをもっています。木の芽や実をさがして、高い木の枝から枝へ飛び移り、ときには、四十メートルも飛ぶことがあるのです。
「友太、安蔵寺山にすむモモンガとムササビには、おもしろい話があるんだよ。安蔵寺山の標高八百メートル近くを境にして、それより高いところに小さなモモンガ、低いところに大きな体のムササビがすみ分けている。ムササビは、大昔に暖かい南の方から日本列島に移りすんだ動物。その反対にモモンガは、北の方から氷河に追われて、西中国山地に下がってきたんだ。同じような習性をもったムササビとモモンガが同じ山にやってきて、お互いに仲良くすみ分けているのは、自然の美しい姿だね。」
「へぇぇ、自然って本当にすごいね。」
 そのとき、二人のはるか上の空を大きく舞う鳥が見えました。
「友太、見てごらん。あれがクマタカだよ。クマタカは、体長は約八十センチメートル、つばさを広げると百五十センチメートルぐらいになるんだ。クマタカはいつもつがいで行動し、安蔵寺山のような大きな山をなわばりにして、ノウサギ、キツネ、ヤマドリ、ヘビなどをかりとって生活している。クマタカは、西中国山地にすむ生き物のチャンピオンで、森をおさめる役目をもっているんだよ。」
「やったあ。また、次に来たときも見られるといいなあ。」
 
クマタカ
クマタカ
 
「友太、でも、クマタカはえさになるノウサギやキツネがいなければ生きられないし、動物も豊かな森がなければ生きていけない。すべては、この森のおかげだよ。」
「本当に、森は〈生き物の家〉だね。」
「そうだよ。だから、森を守ることは、生き物の命を守ることなんだ。」
 
安蔵寺山の森
安蔵寺山の森
 
 多様な生き物が暮らすこの森は、微妙なバランスによって保たれています。しかし、この豊かなブナ林は、今ではほとんどの山で切り開かれ、スギやヒノキの人口の林に変えられています。山にすむ動物たちはもちろん、わたしたち人間も、森からたくさんの恩恵を受けています。森に貯えられた水、植物によって作られる空気は、その代表と言えるでしょう。益田に住むわたしたちがおいしい鮎を食べられるのも、大きなハマグリが食べられるのも匹見の豊かな森があるからです。大昔から人間のくらしを豊かにはぐくんできた原生林を失うことのないように守っていきたいものです。
 
*コラム*
「匹見町民の森」
 旧匹見町時代から、伊源谷あたりの森は、「匹見町民の森」と呼ばれるようになりました。町の人たちは、貴重な森林資源であるこのあたりの森を、子孫の代まで大切に残しておきたい宝物と考えました。町の議会では「匹見町民の森条例」というきまりを作って、町民みんなでこの森を守っていこうとしました。今でも、匹見町に住む人たちからは「町民の森」あるいは「不伐の森」として親しまれ、大切にされています。