一九五三(昭和二十八)年の初夏のこと。当時中学二年生だった田中幾太郎さんとゴギとの出会いは、今から五十年以上前にさかのぼります。その日田中さんは、先生、理科クラブの仲間、地元の山にくわしい梶田さんといっしょに、生物採集をしに安蔵寺山へ登りました。この山は、益田市と鹿足郡の境にある標高一二六三メートルの島根県で一番高い山です。
ゴギが生息する渓流
山頂に近づいた沢の上部に来たところで、梶田さんがおもむろに、サワグルミが茂る幅五十センチメートルほどの小さな淵に、釣り糸を垂らしました。
「何かいるのかな?」
田中さんは不思議そうに、暗い水面に目をやりました。
「おおっ!」
梶田さんが持ち上げた釣り糸の先には、見なれない白い斑点模様のある美しい魚が躍っていました。木もれ日の中で光るその魚の大きさは、三十センチほどはあったでしょうか。まさか、こんな山の上の深い茂みの狭い流れに、これほど大きな美しい魚がいたとは…。驚きとともに、今までに味わったことのない感動がおしよせてきました。
「この魚はなあ、ゴギというんで。」
と、梶田さんが教えてくれました。田中さんは、一目でゴギにひかれてしまいました。田中さんをとりこにしたゴギとは、いったいどんな魚なのでしょうか。
ゴギ
ゴギは見た目の美しさとは違い、動きの速いたくましい魚です。普段は上流の薄暗い岩かげに身をひそめ、カワゲラやトビゲラなどの水生昆虫をはじめ、小魚やカエル、ヤマミミズなど何でも食べます。ときには、流れをわたる小さなヘビまでも、引っぱりこんで食べてしまうこともあります。
また、この魚はサケ科でイワナの仲間です。イワナは、北海道から本州にかけて広くすんでいますが、その中でゴギは最も南にあたる西中国山地に生息しています。日本海に流れる島根県の川だけにすんでいて、益田市を流れる高津川は、ゴギが生息する一番西のはしの川なのです。
島根県のゴギの生息地
どうして、こんなめずらしい魚が、この高津川にいるのでしょうか。そのわけを知るために、千九百万年前にタイムスリップしてみましょう。
そのころ、冷たい水が好きなサケの仲間は、日本列島より北の地方の海や川にすんでいました。そして、二百万年前に氷河時代がおとずれると、日本も一年中とても寒い気候になりました。当時は、日本列島とシベリア大陸はつながっていたので、サケの仲間の中には、えさを求めて南に下り、日本の川や海でくらすものが出てきました。
氷河時代が終わりに近づくと、氷がとけて海水が増え、日本はシベリア大陸と分断されます。サケの仲間の一部は、気温の上昇とともに、冷たい水を求めて川の上流へ移動していきました。そして、すっかり氷河時代が終わると、水が温かい川の下流へはもう下ることができなくなり、水が最も冷たい上流にとり残される形になりました。それが、イワナの仲間です。そのイワナの中でも、最も南の地方にやってきた仲間が、西中国山地にすみついてゴギになったのです。
今でもゴギは、標高約五百から九百メートルの、夏でも水温が十八度以下の、冷たい水の中でしかすむことができません。ゴギのようなイワナの仲間が、「生きた化石」と呼ばれるのは、太古の昔から、気候や地球の大きな変化にも負けず、力強く生きぬいてきたからです。
このように、太古の昔から生息し、たくましく生命力の強いゴギを、西中国山地でくらす人々は、昔から「水神様」として大事にしてきました。人々が生きていくために飲んだり、作物を育てたりする大切な水。ゴギは、その水を湧き出させてくれる豊かな森の象徴だったのでしょう。
しかし、今、ゴギのすむ谷もゴギの数も減ってきています。
それは、私たち人間のくらしと関係があるのです。ゴギのえさになるたくさんの昆虫は、ブナやミズナラなどの深い原生林の山の中で育まれます。しかし一九六〇(昭和三十五)年以降、この山の木がどんどん伐採され、建築の材料になるスギやヒノキの人工林に植えかえられてしまいました。
また、水を確保したり、洪水を防いだりするために、各地にダムや堰堤(※川の水を他に引いたり、流れを緩やかにしたり、また釣り場をつくったりするために築かれる堤防。ダムより小規模)がつくられました。幸い、高津川は、全国でもめずらしく、ダムのない川です。しかし、堰堤は何か所も建設され、それよってゴギが移動できず、すみにくくなりました。
さらに、近年、ヤマメやイワナなどの渓流釣りがさかんになり、めずらしいゴギを求めて、遠方からも西中国山地の谷へ、釣り人が押し寄せるようになりました。そして、ゴギが大きく成長する前に、たくさん捕ってしまうようになったのです。
こうして、太古の昔から西中国山地の深い谷に生き続けてきたゴギも、このままだと近い将来絶滅してしまうのではないかと心配されています。
「高津川の水質は、日本一に選ばれるほど、生命を養う力にすぐれています。そのことを教えてくれている〈水神様〉のゴギの大切さを、みなさんにもよく知ってほしいのです。」
五十年以上、ゴギをはじめとして、西中国地方の自然を観察し続けてきた田中さんは、静かにこう語ります。田中さんの目には、少年のころ高津川の最も上流で見たゴギの姿が映っているのかもしれません。
森の観察を続ける田中幾太郎さん
「ゴギがすむ豊かな森、美しい川を守っていくことが、そこに住む私たちの役目なのです。」
田中さんは豊かな森と川がいつまでも続いていくことを願って、今日も「水神様」に出会うために、森に出かけます。
☆もっと調べてみたいと思ったときには、『島根の理科ものがたり』(日本標準)『しまねレッドデータブック』『いのちの森西中国山地』(光陽出版社)などを読んでみましょう。
表匹見峡(屏風ヶ裏)