今日も、一人のおばあさんが、つえをつきながら、ゆっくりゆっくり細い山道を登って行きます。やっとのことでたどり着いた山の中腹には、目の前の丘をすっぽりとおおうほど枝を広げている大きな桜の木がそびえ立っています。見上げると、そのてっぺんが見えないほどの高さで、まるで恐竜のような木です。
おばあさんは、その木の根元に近づくといつものように、目の前のかべのような幹に手を当てて、静かに目を閉じました。かすかに吹く風にゆれる葉音も消え入ってしまうほど、静かな時間がゆったりと流れていきます。
金谷の城山桜(大森庸司氏提供)
この木は、美都町の金谷にある県指定天然記念物の「金谷の城山桜」という桜の木です。高さは、五階建てのビルと同じくらいの十五メートル、木の太さは、胸の高さで幹周りが七・一メートル(大人五人が手をつないでようやく届くくらい)の、とてつもなく大きな木です。枝張りは東西に十九メートル、南北には二十五メートルにも広がっています。樹齢は、およそ六百年と言われ、とても長生きの木でもあります。
この桜は、入船山城を築いた澄川氏が、その出丸部分にあたる所に植えたと伝えられています。数百年もの間、成長を続け、雨の日も風の日も、ずっとこの場所から人々を見守ってきたのでしょう。
この木の根元には、小さな不動明王の石像と墓石が置かれています。この木とともにくらし生きてきた人々が、この桜の木の下で安らかに眠っているのです。里を見わたせるこの場所で、桜に見守られながら…。
ところが、ある年の冬のこと、大雪の重みにたえきれず、何本もの太枝が折れてしまったのです。中には枝元がさけてしまったものもありました。長い間風雪にさらされ、太い幹の中には大きな洞(※空洞のこと)ができていることも分かりました。
「このままでは、桜の木がかれてしまう。わたしたちのほこりである桜が…。」
一刻も早く何とかしなくてはと考えた町の人は、地元の木のお医者(樹医)さんである大森庸司さんに、木の治療をお願いしました。中国地方の数多くの木を治療してきた大森さんは、急いで仕事に取りかかりました。
まず、大きな枝のさけ目に雨が入って、それ以上くさらないように表面を焼きます。その上に薬をぬり、さけ目を鉄筋やステンレスネット、コンクリートでドームのようにおおいます。そして、絶えず空気が内部を通りぬけるようにし、中には湿気をとる炭を入れるなどの工夫をしました。こうして治療した所は二十か所におよびました。大森さんは、木の思いを感じながらしみじみと語られます。
「木も、私たちと同じように生きています。だから、長く生きる間には、傷つき病気にもなります。枝や葉がかれたり幹がくさったりしている木があるでしょう。それは、木が病気になっているからです。でも、木は病院には行けません。治して!とうったえることもできません。だから、人間が気づいて治療するしかないのです。しかし、木を治してやるのではなく木自身が治すそのお手伝いをしています。」
治療を終えた大森さんは、その後も何度もこの桜の様子を見に来ては、木が元気になっていくのを見届けています。
大森さんと城山桜
四月には、こぼれ落ちそうなほどの花をつけるこの桜を見に、毎年、地元の人だけではなく、県外からも多くの人がやってきます。
「この桜を見ると元気になります。」
こんな言葉が、木の側に置いてあるノートに書かれていました。
昔から今にいたるまで、どれほど多くの人々を元気づけてきたことでしょう。
木の幹に当てていた手をそっとはなすと、おばあさんは来た道をまた、ゆっくりともどって行きました。
「おかげで、今日も一日無事にすごせましたよ。ありがとうございます。ともに長生きしましょうね。」
こんな話をしていたのでしょうか。
(島川鐵雄氏提供)
☆「金谷の城山桜」についてもっと調べてみたいと思ったときには「金谷城山桜ホームページ」にアクセスしてみましょう。たくさんの情報がのっており、参考になります。
益田市には他にもたくさんの巨樹・巨木があります。益田市教育委員会に聞いてみたり、校区内を調べてみたりしてみましょう。