樺太地図(北蝦夷山川地理取調図) 松浦武四郎 筆 江戸時代後期
松浦武四郎自筆の樺太地図で、江戸時代としては最大級のもので、北緯50度を境として南部には、地名、地形、川の流れが詳細に書き込まれており、その様子が非常によくわかる。武四郎は全6回の蝦夷地探査を行ったうち、2回目と4回目の調査で樺太に渡っており、アイヌ民族が暮らしていた樺太南部の調査を行っており、南部の情報が非常に充実している。
その一方で、北部の情報量が極めて少ないのは、体調を崩し北部の調査を断念せざるを得なかったことや、北部はウィルタ(当時はオロッコと呼ばれた)やニブフ(当時のニクブンと呼ばれた)といったアイヌ民族とは異なる人びとが暮らす地域であったためと考えられる。武四郎は北海道の地図と同じように幕府に出版を願い出たとされるが、ロシアとの国境問題から、樺太地図の出版は許可されなかったという。このため、武四郎の自筆のものが、全国に十数点確認されているのみである。
東京地学協会が明治41年に編纂した『樺太地誌』には、今後どれだけ精密な地図が出ても、武四郎の地図に記された樺太の古い地名は、永く参考資料になるだろうという内容が記されており、この地図の重要性がうかがえる。
2008年(平成20年)、他の資料群とともに「松浦武四郎関係資料」として国の重要文化財に指定された。