明治学院歴史資料館デジタルアーカイブズ
人物イメージ

明治学院の人物を知る

明治学院にゆかり深い人物であるJ.C.ヘボン、S.R.ブラウン、G.H.Fフルベッキ、ライシャワー父子(A.K.ライシャワー、E.O.ライシャワー)、井深梶之助、賀川豊彦、山本秀煌、島崎藤村に関わる所蔵資料を紹介します。これらの人物は明治、大正、昭和という時代、それぞれの分野で日本社会に大きな貢献をした人物たちです。

J.C.ヘボン〔James Curtis Hepburn〕

ヘボン写真

1859年に来日。1863年、妻クララと共に横浜外国人居留地内の自宅で英学塾(ヘボン塾)を開きました。これが明治学院の淵源です。1889年、明治学院初代総理となり学院の礎を築きました。ヘボンは医療事業、日本初の和英・英和辞典『和英語林集成』の編纂とその過程でのヘボン式ローマ字考案、聖書日本語訳等々、多方面で近代日本に多大な貢献をしました。

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S.R.ブラウン〔Samuel Robbins Brown〕

ブラウン写真

1859年に来日。1873年、横浜山手に私塾「ブラウン塾」を開きました。ここから井深梶之助、植村正久、本多庸一ら明治期のキリスト教界やキリスト教教育界の指導者が輩出しました。ブラウンは日本人牧師養成学校の創設に尽力し、1877(明治10)年、「東京一致神学校」と開設となって実を結び、やがて明治学院へとつながっていきます。また新約聖書翻訳委員長として聖書翻訳に尽力しました。

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G.(H.)F.フルベッキ〔Guido Fridolin Verbeck (またはGuido Hermann Fridolin Verbeek) 〕

フルベッキ写真

1859年に来日。幕府が長崎に開いた洋学所済美館の英語教師を務めた後、開成学校の設立を助け、その後身である大学南校の教頭や太政官顧問を務めました。その後、フルベッキは東京一致神学校や学習院の講師を務め、1886年、明治学院創設時には理事として設置準備のために尽力し、開校後は神学部教授として旧約聖書註解・説教学を教え、理事会議長にも任じられました。また旧約聖書翻訳に尽力し、「詩篇」「イザヤ書」は名訳と言われています。

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ライシャワー父子〔父:August Karl Reischauer、子:Edwin Oldfather Reischauer〕

ライシャワー父子写真

父、A.K.ライシャワーは米国長老派の宣教師として1905年に来日し、明治学院高等学部教授・神学部教授を務め、東京女子大学、女子学院の教育にも尽力しました。子であるE.O.ライシャワーは父の明治学院在任中、構内にあった宣教師館で誕生しました。長じて、1961年4月~1967年7月、駐日アメリカ合衆国特命全権大使を務めました。

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井深梶之助(いぶか かじのすけ)

井深梶之助写真

会津生まれの井深梶之助は、1854年戊辰戦争での敗戦体験を経て、横浜でS.R. ブラウンのもとで学び、キリスト教信仰へと導かれました。1891年、ヘボンの後をうけ第二代総理となり31年間にわたって明治学院を導きました。1899年、「文部省訓令12号」発布時には、インブリーの指導を受け、宗教教育の堅持・認可中学校と同等の権利回復のため奔走しました。

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賀川豊彦(かがわ とよひこ)

賀川豊彦写真

賀川豊彦は明治学院神学予科に学び、神戸神学校を卒業しました。1909年、神戸新川のスラム街に住み伝道活動を開始。新川での生活を記した自伝的小説「死線を越えて」は大ベストセラーとなりました。賀川は労働運動・協同組合運動等で先駆的活動を担い、ノーベル平和賞、文学賞候補にもなりました。明治学院大学で賀川が講じた「協同組合論」は、受講生に多大な影響を与え、明治学院生協の誕生に繋がりました。

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山本秀煌(やまもと ひでてる)

山本秀煌写真

山本秀煌はブラウン塾、東京一致神学校に学び、東京一致神学校卒業後は高知教会、住吉町教会(現:指路教会)、大阪東教会で伝道活動に励みました。1908年からは明治学院教授として20年にわたって後進の指導にあたりました。山本は教育に携わるかたわら、キリスト教史・教会史研究に傾注し、多くの著作を著しました。

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島崎藤村(しまざき とうそん)

島崎藤村

本名は春樹(はるき)。1887年明治学院普通学部に入学し、1891年に卒業。1906年には明治学院校歌を作詞し、その校歌は今も歌い継がれています。自伝的小説『櫻の實の熟する時』には、主人公の捨吉を通して、藤村自身の明治学院在学中の様子が生き生きと描きだされています。1935年、日本ペンクラブ設立にあたって、初代会長を務めました。

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