では,下野薬師寺とは,どんな寺だったのでしょう。
下野薬師寺は7世紀の後半,下毛野(しもつけの)氏の氏寺として建立されました。その後だんだんと大きくなり,8世紀の中ごろには中央の法隆寺・四天王寺と同じくらいの格式を誇っていました。東国の中で立派な寺であったということができるでしょう。
下野薬師寺に戒壇がつくられた理由は,勝道上人※3による日光山開山にもみられるように,下野国(しもつけのくに)が仏教の盛んなところだったということのほか,朝廷で活躍していた,下毛野古麻呂(しもつけのこまろ)などの力があったと,考えられるでしょう。
※1 鑑真和上… | 中国(唐)の有名なお坊さん。失敗を重ね,盲目になりながらも日本に来ることをあきらめず,6度目の試みで来日することができた。東大寺に戒壇院を建て,のちに,唐招提寺を開く。 |
※2 戒壇… | 僧に戒を授けるための場所。土を高く盛り上げて築いた。現在でも東大寺戒壇院に見ることができる。 |
※3 勝道上人… | 下野国,芳賀郡の人という。日光山を開き,神宮寺をつくった。 |