[慈覚大師・円仁]

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慈覚大師像(壬生寺(みぶじ))

 
 1994(平成6)年,壬生の町のあちこちで「慈覚大師」という名前を見たり聞いたりすることができました。
 この年は慈覚大師が誕生して1200年目の年でした。壬生町では,それを記念して「大師まつり」や「屋台・みこしパレード」などの催し物を開きました。京都市でも,比叡山延暦寺を中心に,さまざまな「生誕1200年記念行事」が開かれました。
 慈覚大師・円仁は794(延暦13)年,下野国都賀郡(しもつけのくにつがのこおり)に壬生氏の子として生まれ,平安時代初期に活躍した有名な僧侶です。最澄※1の教えをうけ,唐に渡って仏教を学び,天台宗の基礎を固め,比叡山延暦寺の第3代の座主(ざす)※2になりました。そして死後には,天皇から日本で初めて「慈覚大師」という大師の称号を贈られました。
 また,唐に渡ったときの記録,「入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)」は,西遊記で有名な三蔵法師の「大唐西域記」,マルコ・ポーロの「東方見聞録」とともに,アジアの三大旅行記の一つと言われています。
 1200年を過ぎた今でも,人々に敬われ世界的にも有名な僧侶・慈覚大師の生い立ちや修行のようす,功績をもう少し詳しく調べてみましょう。
 

※1 最澄…奈良仏教に不満を持ち,19歳で比叡山に入り修業を積んだ。804年に遣唐使とともに唐に渡り,天台宗を学んだ。日本に帰り,比叡山の延暦寺で日本独自の天台宗を開いた。
※2 座主…比叡山延暦寺の長・位の一番高い僧