3 天台座主

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比叡山

 
 円仁が比叡山に帰ったのは,帰国した翌年848(承和15)年3月26日のことでした。比叡山の人々は,大喜びで円仁を迎えました。二代目の座主(ざす)がなくなっても,円仁の帰りを待ち誰も座主にならなかったのです。854(仁寿2)年,円仁は天皇の命令で天台座主となりました。
 円仁は,唐から持ち帰ったお経の本,天台宗のきまりをはじめ学んできたことを多くの本に著し,世の中に広めました。
 最澄が開いた天台宗は,長い間日本の政治や文化・宗教に大きな影響を与えていきましたが,その基礎を固め,大きく発展させていくのに果たした円仁の働きはとても大きなものでした。
 864(貞観6)年1月14日,円仁は亡くなりました。71歳でした。866(貞観8)年7月14日,天皇は円仁の働きの大きさを認め「慈覚大師」という称号を贈りました。日本で最初の「大師」という称号です。大師とは天皇の師となり,国の繁栄に役立つすばらしい力のある僧のことです。この時,最澄にも「伝教大師」と称号が贈られています。
 現在では,「お大師様」といえば空海の「弘法大師」が有名ですが,空海がその称号を贈られたのは,円仁の55年後のことです。このことからも当時,円仁の業績や人柄が朝廷からも高く評価されていたことがわかります。