壬生氏のおこりと滅亡

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現在の様子(おおい堂)             壬生氏の墓(常楽寺(じょうらくじ))

 

小田原の戦いでの各部将の配置図16世紀中頃の関東地方(図説「栃木県の歴史」より)

 
 上の図は,豊臣秀吉が,関東の戦国大名である後北条氏が守る,小田原城(神奈川県小田原市)を攻めた時のものです。この小田原攻めで後北条氏を滅ぼし,秀吉はほぼ天下を統一しました。
 両軍合わせて30万人ともいわれる大軍が参加したこの戦いに,壬生を本拠地として勢力をもっていた壬生氏も, 戦国大名として参加していました。しかし,壬生氏が味方した後北条氏は敗れ,戦いの途中,壬生義雄(よしかつ)は死んでしまいました。これにより,5代続いた壬生氏は滅びたのです。
 ここでは,壬生氏の誕生から滅亡までを中心に壬生の中世のようすを見ることにしましょう。
 

※ 後北条氏…15世紀末,初代北条早雲が小田原を本拠地にして,勢力を強めた。戦国大名として五代にわたって関東地方南部を支配したが,1590年,豊臣秀吉によって滅ぼされた。鎌倉幕府の執権北条氏に対して後北条氏ともいう。