武士のくらし | 門番をする武士 |
9~11世紀の平安時代前半は貴族が力を持ち,特に,藤原氏は摂政・関白という高い役職について,政治の実権を握りました。
このころ下野国(しもつけのくに)は,朝廷の支配に入らない東北地方(奥州)を押さえる,重要な基地としての役割を持っていました。そのため,中央からは強い武力を備えた人が国司として来ました。地方の豪族たちは,国司の下の役人になって力を伸ばし,自分の土地を守るために,弓矢や刀で武装し武芸や戦の訓練に励みました。こうして武士がおこり,まとまりを持って活躍するようになってきました。関東地方に平将門の乱という,武士の乱が起ったのもこのころのことです。
かつて多くの古墳があった壬生は,この時期も開けていたと考えられますが,荘園や武士団の資料は,今のところ見つかっていません。
やがて,武士が政治の中心となり,平安時代の終わりには,平氏が政治を動かしました。さらに,平氏を滅ぼした源頼朝が,1192年鎌倉に幕府を開きました。この時代には,下野の武士団は奥州のおさえとして,重要な役割を果たすようになりましたが,中でも源氏と深い関係にあった,小山氏が最も勢力が強かったようです。
伝 源頼朝 | 当時の武士のようす |
頼朝の死後,将軍を助ける執権の役職にあった北条氏が,幕府を支配する時期が続きました。
鎌倉幕府は,足利氏などの力を借りた後醍醐天皇によって,1333年に滅ぼされ,その後,後醍醐天皇を追放した足利尊氏によって幕府が開かれました。この足利氏の幕府を,室町幕府といいます。
8代将軍足利義政のころになると,守護大名の力が強くなり,将軍もそれを押さえることができなくなりました。中でも,最も勢力が強かった,細川氏と山名氏の権力争いなどがきっかけとなって,1467年に大軍が二つに分かれて京都で争い,この争いは11年間も続きました(応仁の乱)。この間に,家臣や土着の武士が,領主に反抗するようになり,中には守護大名を倒す者も現れてきました。こうして,実力のある者が,上の者やまわりの大名を倒していく,戦国時代とよばれる戦乱の時代が100年間も続きました。戦国時代は16世紀後半になると,織田信長,豊臣秀吉によって統一されていきました。
武士が力を持った13世紀から16世紀の400年間,この壬生はどのようなようすだったのでしょうか。