3 中世初期の壬生

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藤井城跡付近藤井城と関連の城館跡

 
 平安時代末から鎌倉時代にかけて,下野国(しもつけのくに)でも,足利氏をはじめ小山氏,宇都宮氏,那須氏などの豪族が,勢力を強めてそれぞれの領地を支配し,時には争っていました。しかし,壬生を本拠地とする武士団は,まだ形成されていなかったようです。その理由としては,壬生が下野国府に近いために監視が厳しく,豪族たちが勢力を広げにくい所であったこと,また,壬生が小山氏と宇都宮氏の勢力の接する所であったため,別の勢力が力を伸ばしにくかったことなどが考えられています。
 「壬生氏」という名前が記録に見られるのは15世紀半ばのことです。それまでの鎌倉時代から室町前期まで約200年間の「壬生氏」はもちろんのこと壬生についても,あまりよく分かっていません。
 しかし,残されている板碑(いたび)や五輪塔などの石造物や近くの武士団の資料から,当時を推測することができます。まず,宇都宮氏の一族が壬生に勢力を広げつつあったのではないかということ,また,小山氏の一族である藤井氏が,現在の藤井小学校ふきんに城を築いていたことなどです。では,中世後期からこの地で活躍した壬生氏のようすを見てみましょう。