2 第2代 綱重

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 綱重(つなしげ)についても資料が少ないのですが,綱重が鹿沼に,子供の綱房(つなふさ)が壬生に住んでいた,という記録があることから,このころの壬生氏は鹿沼も支配していたようです。この綱重が今の城内の地に壬生城を造りました。「物語壬生史」は城について次のように記しています。
 「壬生城は本丸の形から,馬蹄城(ばていじょう)といわれ,黒川を守りに利用した平城だった。壬生城を守るため,板橋(日光市)・藤井・羽生田(はにゅうだ)の3カ所に出城を作りそれぞれ重臣に守らせた。」
 この綱重は,旅の途中の宗長という連歌師を厚くもてなしているところから,連歌に強い関心を持っていた人物とも考えられています。
 

羽生田城跡(今は羽生田小が建っています)