壬生氏は,綱雄(つなたけ)の弟の徳雪斉周長(とくせっさいかねたけ)が,力を持っていた時代でした。この周長は,宇都宮氏などとともに,上杉氏の側につこうとしていたようです。しかし,壬生氏5代目義雄(よしかつ)は,後北条氏側につこうと考えていました。そして,上杉謙信が死に,北条氏が本格的に北関東に進出してくると,この2人の間に対立が起こってきました。壬生氏の家臣たちも,二つに分かれて争ったようです。その結果,義雄側が勝ち,壬生氏は後北条氏に味方していくことになりました。
これによって,その後の壬生氏は,後北条氏に敵対する佐竹氏,宇都宮氏,結城氏などと激しい戦いを繰り返しました。
ちょうど,織田信長が全国統一の半ばで本能寺の変によって倒れ,そのあとをついだ豊臣秀吉によって,天下の統一が進められていた時期でした。戦国時代も終わりに近づいていました。
天正年間(1573~92),下野国でおこった主な合戦場所
壬生氏が関係した合戦 | |||||||||
年 | 合戦者 | 場所 | |||||||
1557 | 芳賀高定・宇都宮広綱(ひろつな) 北条氏康・佐竹義昭 | × | 壬生綱雄 | 宇都宮城 | 1578 | 佐竹義重 真壁氏・結城氏 | × | 壬生義雄 北条氏照 | 壬生城 |
1575 | 宇都宮広綱 壬生義雄 | × | 那須資晴 | 薄葉原 | 1586 | 皆川広照・壬生義雄 北条氏 | × | 宇都宮国綱 鹿島貞信 | 宇都宮城 |
1576 | 壬生綱雄・義雄 | × | 壬生周長 | 鹿沼城 |