3 小田原攻めと壬生氏没落

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 1590(天正18)年,豊臣秀吉が小田原城の後北条氏を攻めました。壬生氏は後北条氏に味方して,小田原城に入りました。壬生氏の軍事力は,記録によれば,壬生・鹿沼・日光山の合計1,500騎とされていて,後北条氏などの特別大きな大名を除くと,関東地方では中くらいの力であったようです。壬生義雄(よしかつ)は,皆川広照とともに,竹ノ鼻口という所を守ったとされています。
 豊臣秀吉は小田原城を後北条氏の何倍もの兵力で取り囲み,降伏してくるのを待ちました。ついに城の中に食べ物がなくなり,後北条氏は降参しました。
 壬生義雄は,1590(天正18)年壬生への帰国の途中,病死したといわれています。これによって壬生氏の軍は敗れ,また,壬生や鹿沼城を守った壬生氏の家臣団も,佐竹氏や宇都宮氏を中心とする勢力に滅ぼされ,壬生の戦国時代も終わりになりました。
 
鹿沼市古城跡標札(鹿沼市御殿山公園) 壬生義雄の墓(鹿沼市雄山寺)

 

※ 壬生義雄…「よしお」と読んでいる文献が多いが,時に「よしかつ」とルビをふっているのもある。また,その死について,「酒匂川(さかわがわ)の陣所で戦死」という説もある。