1 民衆の力

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 壬生氏がこの地で大きな力を持ち,戦国大名として活躍できたのは,それを支える壬生の民衆の経済的な力があったからです。14・15世紀になると,関東地方の各地では,畑地での二毛作が行われるようになりました。一部では,水田での米と麦との二毛作も行われ,さらに,新しく田を開発して田畑の面積を増やし,村の数も増えていきました。中世後期の記録には,稲葉郷が上と下に分かれたと書かれています。壬生でも,このような農業生産力に向上が見られたようです。
 米以外には,麦・蕎麦・大豆・粟・稗(ひえ)などを作る畑が広がっていました。これらの農作物がそのころの人々の主食になっていたと考えられます。さらに,用水路を作ったりしながら,新しい田の開発は年々進んでいきました。