2 壬生氏と民衆

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 領主は家来や下人・下女・民衆に対して,様々なきまりを作っていました。こうしたきまりを「家中法(かちゅうほう)」といいます。壬生氏のものは残っていないので,結城氏(茨城県結城市から小山市付近を支配した大名)の例を見てみましょう。「結城氏新法度」と呼ばれるこのきまりは,104条からなり,次のような細かいきまりが定められています。

 こうした大変細かいきまりは,領主が領地の様子を見て考えたことであり,当時の武士や農民・下人の実態をよく伝えています。例えば,6カ条にもわたってけんかに対するきまりがあるのは,この時代の武士たちのけんかが,大きな問題になっていたことを示しています。また,21条には,「農民は,かんがいなどの対策をとらないでおいて,自分の田が天災の被害を受けたとか,不作だからといって年貢滞納のいいわけをしてはならない。」とあります。この文章から,農民が年貢をめぐって,領主と争っていたことが想像できます。