1 城主の移り変わり

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 1590(天正18)年,豊臣秀吉の小田原攻めにより,後北条氏に味方した壬生氏も滅亡しました。壬生氏の領地は取り上げられ,新しく下総結城(しもふさゆうき)の結城秀康の領地になったといわれています。また,この時期に太閤検地が壬生でも行われたようです。
 さて,壬生藩は関ケ原の戦いの後,1602(慶長7)年に日根野氏が1万900石で壬生城主になったことに始まり,幕末まで,阿部氏,三浦氏,松平氏,加藤氏,鳥居氏の五氏十四代と続きました。壬生城主の移り変わりについては,幕府がまとめた「寛政重修諸家譜」に下の表のように記録されています。
壬生城主のうつりかわり
慶長7年(1602年)日根野織部正吉明信濃国(今の長野県あたり)より壬生城主に
寛永11年(1634年)豊後国(今の大分県あたり)へうつる
   (      )阿部豊後守忠秋下総国(今の千葉県あたり)より壬生城主に
寛永16年(1639年)武蔵国(今の埼玉県あたり)へうつる
   (      )三浦壱岐守正次下総国(今の千葉県あたり)より壬生城主に
元禄5年(1692年)              明敬日向国(今の宮崎県あたり)へうつる
   (      )松平右京大夫輝貞常陸土浦(常陸土浦)(今の茨城県あたり)より壬生城主に
元禄8年(1695年)上野高崎(今の群馬県あたり)へうつる
   (      )加藤越中守明英近江国(今の滋賀県あたり)より壬生城主に
正徳2年(1712年)              嘉矩近江国(今の滋賀県あたり)へうつる
   (      )鳥居伊賀守忠英(ただてる)近江国(今の滋賀県あたり)より壬生城主に
以後幕末まで


 

※ 結城秀康…徳川家康の二男で豊臣秀吉の養子になった