福和田村検地帳 | 検地のようす |
江戸時代の初めのころ,かつての壬生氏の家臣たちが村々に住みついてお互いに親戚関係を結び,名主・組頭・百姓代という村役人となって村の中心的役割を果たしていきました。
名主は,領主から命令された年貢やさまざまな負担を,村民全体に割り当てて集めたりすることが,第一の仕事でした。その他,用水を管理したり,領主からの命令を伝えたりするなどの仕事がありました。村役人は領主から特別扱いをされ,外出の時には羽織を着たり,刀を持つ特権が与えられていました。
一方,一般の農民には,お互いに生活を監視させ,年貢を払えない農民の分も組の中で支払うようにさせる,五人組という制度がありました。名主は,毎年五人組の家を確認して,名前を書いた五人組帳を代官所に差し出しました。そして,毎月一回,村中の農民に五人組帳の最初に書いてある約束を読んで聞かせ,字の読めない農民にきまりを伝えました。また,人通りの多い四つ角などに命令を書いた「高札」が立てられました。
これもダメ・あれもダメ
1693年福和田村の五人組帳の約束から
- かけごと(博打)をしてはいけない。
- よそから来たよくわからない人をとめてはいけない。
- 親不孝をしたり,大酒をのんだり,
けんかの好きなわがままな人がいたら届け出なさい。 - 人形しばいやみせ物の芸人を村に入れてはいけない。
- 百姓はもめん以外の着物を着てはいけない。
- キリスト教の人を密告しなさい。
- 竹や木を勝手に切ってはいけない。
- 食事は汁とおかず一品だけにしなさい。