3 まぐさ場と用水

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 この時代には,いくつかの村で共同して使うまぐさ場と用水がありました。まぐさ場とは,肥料や牛馬のえさを刈り取るための原野です。17世紀になると,新田開発が進み,原野が減ってきたので,こうした共同の土地をめぐって争いが起きています。1673(寛文13)年には,壬生藩の羽生田(はにゅうだ)村と宇都宮藩の池森(いけのもり)村でまぐさ場を巡って争いが起きました。

原野の様子

 水田に大切な用水をめぐっての争いも起こりました。1705(宝永2)年,安塚村は,幕田村(宇都宮市)を相手にして裁判を起こしました。幕田村の名主清六が,安塚村の用水の上流に新しい用水を掘り,今までの用水を埋めてしまったので,村に水が来なくなり,稲が収穫できないというのです。幕田村は用水を修理するために毎年多くの人足を出さねばならず,村人が困っているので新しく用水を掘ったというものです。この裁判の結果は不明ですが,こうした争いは,たびたび起きています。