一方,農民が直接領主に訴えたり武力で自分たちの要求を通したりしようとする動きを,百姓一揆といいます。壬生では,現在のところ百姓一揆のはっきりとした資料は見つかっていませんが,82・83頁の「七色の掛物」に抵抗した三義民の伝承は百姓一揆のひとつの例で,領主に年貢を減らしてもらおうと訴えた農民の指導者がつかまって一部が殺されてしまい,代わりに要求が認められたというものです。
年貢が払えなくなって,農民が集団で村を抜け出すこともありました。村から出て「住所不定」となり,商売をしたり船乗りになったりしてかせぐことでいい生活をしようとする人たちもありました。領主にとってはたいへん困ることでしたが,江戸時代後期になってくると,農村にも大きな変化が起こってきたのです。
江戸時代後期の農村の様子