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第4章
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第4節 交通と物の往き来 -道と川-
2 安塚村の助郷負担
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農民は,朝早くから,夜遅くまで働き続け,その上「人足を出せ,馬を出せ」という命令は大変な負担でした。そこで,農民たちは自分達で,この負担をなんとか乗り切ろうと相談しました。
当時の「安塚村」は旗本3人に分けて支配を受け,壬生から宇都宮に行く街道の宿場でしたので,昼も夜も馬4疋,人足4人を用意しておかなければなりませんでした。そこで,安塚村の惣百姓132軒が集まって助郷(すけごう)負担の仕方についてきまりをつくりました。