近代への幕開け

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戊辰役戦死者の墓(安塚)

戊辰戦争官修墓地(興光寺)

 

 上の写真は,壬生町内に残されている石碑や墓石です。長年の風雨のため,文字のはっきりしない所もありますが,「戊辰四月」「戊辰役」「土佐森山村」などの文字を読みとることができます。「戊辰」は西暦1868年のことですが,この年の4月に,壬生で何が起ったのでしょうか。
 1853(嘉永6)年6月,アメリカ合衆国東インド艦隊司令長官ペリーが,幕府に対して友好と貿易を求めた大統領の手紙を持って,浦賀(神奈川県)に来ました。この後,日本は,開国をして外国と貿易をするか,鎖国を続けて外国人を追い払うか,政権をになうのは幕府か朝廷か,といったことで国中が大きくゆれ動きました。1858(安政5)年,幕府はアメリカをはじめ5カ国と,通商条約を結んで貿易をすることになりました。貿易が始まると物価が上がり,生活が今まで以上に苦しくなって,外国人を憎んだり幕府を非難する声が強くなってきました。こうした中で,薩摩藩(鹿児島県)や長州藩(山口県)を中心に幕府を倒して天皇中心の政府を作ろうという運動が盛んになりました。農民や町人もこの運動に参加したり,「世直し」を求めて一揆や打ちこわしを行ったりしました。
 十五代将軍徳川慶喜は,幕府の政治が続けられないと考え,政権を朝廷に返すことにしました。1867(慶応3)年の大政奉還です。こうして,260年あまり続いた江戸幕府は倒れ,新しい政府が生まれます。「幕府」対「新政府」の最後の戦いが1868(慶応4)年に起った戊辰戦争です。各地で戦いが行われますが,激戦の一つがこの壬生で起きました。写真の墓石などは,この時の戦いに関係したものです。1850~60年代の激しい歴史の流れの中で,譜代大名であった壬生藩をはじめこの地域では,どのような動きがあったのでしょうか。