4 幕府が滅びる直前の壬生

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 1867(慶応3)年10月14目,最後の将軍徳川慶喜は,政権を朝廷に返す「大政奉還」を行いました。この時から約1年半にわたって,江戸・京都から各地方に激しい変化が起こります。
 壬生藩は,11月に江戸城和田倉門の警備をするように命じられますが,一方で朝廷からも京都に来るようにとの命令も受けました。藩主は,他の譜代大名とともに朝廷の命令を断りながらも,領内に対してはこうした命令に応えるために,臨時の資金が必要であるとして,5千両の御用金を集めるように通知しています。
 12月になると,倒幕派(幕府を倒そうとする人々)の勢力が出流山(いずるさん)(栃木市)で動き出しました。幕府の役人であった関東取締出役は,壬生藩に対して出流山の討幕派を取り締るように,また,幕府大目付は,江戸にあった薩摩屋敷の襲撃をするよう壬生藩に命じました。
 このように,この時期の壬生藩には,幕府側と朝廷側の両方からの命令が届きます。壬生藩はこうした中でどちらかの立場をはっきりと示して動くのではなく,時の流れを見ながら慎重に行動していたといえるでしょう。