2 下野の世直し一揆

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 幕府が滅びたことや戦いが各地で続いたことによって,米などの価格が急に上がり,人々の間には社会不安が高まりました。日本各地で,「世直し」を唱える百姓一揆や打ちこわしが起こりました。
 壬生地域でも,特に,旗本領や幕府領であった北部の村々に大きな影響が現れて来ました。
 1868(慶応4)年3月29日に安塚村から始まった世直し一揆は,東は石橋や雀宮へ,西は鹿沼や楡木(にれぎ)の方まで広がりました。安塚村では,「数百名の人が乱暴をし,家や倉庫をこわし,物を奪い名主の書類も破ってしまった」という激しい一揆の様子が記録されています。 
 中泉村では,村役人が百姓に要求されて「質の利息を天保の時期のものに引き下げる」などと約束しています。壬生藩では,藩内に一揆が広まらないように藩の兵士を送って警戒を強めていました。
 こうした動きは,この時代が政権が幕府から朝廷に返されたというだけでなく,農民をはじめ全ての人々をまきこんで,社会が大きく変わり始めたことを示しています。