「このたび,今までの良くない点を改めるよう命令があった。政治では,百姓をどのように扱っているかが大切である。年貢をとるだけが領主ではない。しかし,最近では下の者が苦労している。意見があったら,役人に関わることでも良いから何でも投書するように。」
これに対して,壬生町割元(村役人の最高の位・大庄屋)で当時22歳の松本庄兵衛は,次のような内容の意見を投書しています。

松本庄兵衛の意見書(松本家御用留)
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松本庄兵衛の屋敷(銅版画)
こうした動きの中に,壬生藩の人々が新政府や新しい社会に大きな期待を持って,積極的に行動している姿を見ることができます。
藩の改革は,まず,藩の役職には家柄にとらわれず力のある者をすえるとともに,軍事面でも今までの編成や身分を廃止し再編成を行っています。