3 自由民権の演説会

137 ~ 138 / 201ページ
 1880(明治13)年後半には,下都賀郡を中心に各地で演説会がさかんに開かれるようになりました。9月5日,上稲葉村で演説会が開かれました。この演説会は県内でも最初の頃に行われたものです。当時の新聞にも取り上げられました。

演説会場になった上稲葉円宗寺(えんじゅうじ)

石崎鼎吾

 上稲葉村は壬生町域でも早くから民権運動への積極的な動きを見せた所で,この年には4回の演説会が開かれています。
 一方,壬生町は,政治に強い関心を示す所として,県下でも有名な土地でした。1882(明治15)年4月になってはじめて,壬生の開業医師石崎鼎吾(いしざきていご)が興光寺で演説会を開きました。この会は「開智社」と呼ばれ,約100名の人々が集まりました。また,9月には壬生町綿屋で「自由懇親会」と名付けられた会が開かれ,石崎鼎吾,鯉沼九八郎などがかわるがわる演説をしました。
 

※ 石崎鼎吾…明治3年から東京で医学を学び,その後北海道,東京と勤務し,後に西南戦争にも参加した。明治14年壬生に戻り医院を開業した。