1 日清戦争と民衆

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 1894(明治27)年,朝鮮半島で社会の改革を求める農民たちが,武器を持って立ち上がりました。朝鮮政府はそれをしずめるために清国に出兵を求めました。日本も朝鮮に出兵し,農民軍をおさえました。その後,日清両国は朝鮮をめぐって対立し,とうとう8月,戦争が始まりました。日清戦争です。
 この戦争は,「眠れる獅子」といわれた大きな国「清」(今の中国)との戦いであり,日本は国をあげて戦争へと進んでいきました。県内各地でも戦争の雰囲気を高めるため,日清戦争の幻灯会(スライド上映会)が開かれました。
 明治政府の政策の一つに,国民皆兵制があります。1872(明治5)年に徴兵令を定め,満20才以上の男子に兵役の義務を負わせました。その後,何度かの改正が行われ1889(明治22)年には,戸主や後継ぎは兵役につかなくてもよいという特権の廃止,徴兵にしたがわなかったものへの罰の強化など,国民皆兵の制度はより厳しくなっていきました。
 では,日清・日露戦争のころには,壬生町ではどのくらいの人が兵役についたのでしょうか。
壬生町域の徴兵実施状況
明治27年28年31年32年33年34年
徴兵検査を
受けた人数
壬生町70人65人89人75人101人77人
稲葉村43   42   50   53   58   60   
南犬飼村57   38   58   54   53   54   
予備役を含む
現役の兵の数
と徴兵率
壬生町9人10人17人24人38人19人
(12.9%)(15.4%)(19.1%)(32.0%)(37.6%)(24.7%)
稲葉村6   7   17   32   15   26   
(14.0%)(16.7%)(34.0%)(60.4%)(25.9%)(43.3%)
南犬飼村15   9   23   20   23   22   
(26.3%)(23.7%)(39.7%)(37.0%)(43.4%)(42.6%)
『栃木県下都賀郡統計書』(明治27年~34年)より作成