3 日露戦争と壬生

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 1900(明治33)年,清の北部で起こった義和団の動きをおさえるために出兵したロシアが,満州を占領してしまいました。日本政府は1903(明治36)年,ロシアに満州から引き上げるよう要求しました。しかし,交渉がまとまらず,1904(明治37)年2月10日,日本はロシアに宣戦を布告し,今度はロシアとのきびしい戦争の道を歩み始めました。
 日露戦争の主な戦場は満州でした。勝利をおさめながら進んだ日本の陸軍は,1905(明治38)年,旅順と奉天を占領し,一方,東郷平八郎を司令官とする連合艦隊は,日本海の海戦でロシアのバルチック艦隊を破りました。しかし,日本軍の死傷者は7万人にも達し費用も多くかかるなど,戦争を続けることは困難になりました。

日露の戦い

壬生町域町村の日露戦争の出征者と戦死者数
 壬生南犬飼稲葉
出征者数将校2226
下士1251532
兵卒14273111326
15680128364
戦死者数将校1 23
下士3 14
兵卒85417
125724
『下都賀郡誌』による

 

南犬飼村出身の兵士梁島廉平は,「出征日記」という記録を残した。この中には,戦争の状態や捕虜となったときの生活が生々しく描かれている。