そこで,栃木県では1953(昭和28)年に調査を行い,下都賀郡の34市町村を9市町村にするという,町村合併計画案を出しました。
壬生町の合併予定町村名は,国府(こう)村(今の栃木市の一部),壬生町,稲葉村,南犬飼村の1町3か村でした。
1954(昭和29)年3月には最初の町村合併促進会がもたれ,稲葉村村長と議長から,壬生町と合併したいという希望が出されました。場所的にも村民の希望からも計画はスムーズに進み,壬生町と稲葉村は合併することに決まりました。
合併予定町村名 | 人口 | 面積(ha) |
---|---|---|
国府村 | 6,403 | 1,480 |
壬生町 | 11,501 | 1,850 |
稲葉村 | 7,168 | 1,810 |
南犬飼村 | 7,392 | 2,430 |
計 | 32,464 | 7,570 |
町村合併計画第一次試案
『栃木県町村合併誌』第4巻より
南犬飼村合併希望の有無 | |
---|---|
回答世帯 | 1,112 |
合併を希望しないもの | 310 |
合併を希望するもの | 758 |
・壬生町との合併希望 | 485 |
・宇都宮市との合併希望 | 181 |
・どこでもよい | 85 |
・その他 | 7 |
無効 | 44 |
(回収率96%)
しかし,11月になると,壬生町と稲葉村の合併に刺激をうけた南犬飼村の南部国谷(くにや)地区の人々から,早く壬生町と合併したい,という意見が出されました。再び南犬飼村の合併問題が持ち上がりました。村で世論調査をすると,壬生町と合併するという賛成が多数になり,合併を促進することになりました。
その後,合併についていろいろ話し合いました。しかし,合併の問題の一つに町名がありました。南犬飼村の人々は,合併したら新しい町の名は「鳥居町」「三生町(みぶまち)」「黒川町」といったものにしたいと要望しました。しかし,壬生町はあくまで「壬生町」にしたいと譲らず,簡単には町名が決まりません。その後も話し合った結果,結局は「壬生町」でまとまり,1955(昭和30)年7月28日,新しい「壬生町」が誕生しました。
お祝いの行事は2日間にわたり,小中学生の旗行列,農業祭,町民運動会が盛大に行われ,山車(だし)が出たり花火が打ち上げられたりしました。
国府村では,栃木市と合併するか,壬生町と合併するかで,人々の意見が分かれました。そこで村では世論調査を行いました。すると多くの人が,栃木市との合併を望んでいるということが分かりました。
栃木市と合併希望 | 686票 |
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壬生町と合併希望 | 269票 |
無効 | 15票 |
未提出 | 9票 |
『栃木県町村合併誌』第5巻より |
何回も話し合いがもたれましたが,最終的には村議会で栃木市との合併が決定され,1957(昭和32)年に栃木市と合併しました。