1 町村合併

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 第二次大戦前の日本には,小さい村や町がたくさんありました。戦後民主化を進めるために,アメリカから来た視察団の人達は日本政府に対し,小さな町や村を合併して規模を大きくすることを勧めました。小さな町や村のままでは,社会全体で支え合うしくみが作りにくいからです。また,国内からも少ない予算や人数では,社会全体が豊かになっていくことは難しいという声が高まり,町村合併が実施されることになりました。
 そこで,栃木県では1953(昭和28)年に調査を行い,下都賀郡の34市町村を9市町村にするという,町村合併計画案を出しました。
 壬生町の合併予定町村名は,国府(こう)村(今の栃木市の一部),壬生町,稲葉村,南犬飼村の1町3か村でした。
 1954(昭和29)年3月には最初の町村合併促進会がもたれ,稲葉村村長と議長から,壬生町と合併したいという希望が出されました。場所的にも村民の希望からも計画はスムーズに進み,壬生町と稲葉村は合併することに決まりました。
合併予定町村名 人口 面積(ha)
国府村 6,403 1,480
壬生町 11,501 1,850
稲葉村 7,168 1,810
南犬飼村 7,392 2,430
計 32,464 7,570

町村合併計画第一次試案

『栃木県町村合併誌』第4巻より

南犬飼村合併希望の有無
回答世帯 1,112
合併を希望しないもの 310
合併を希望するもの 758
・壬生町との合併希望 485
・宇都宮市との合併希望 181
・どこでもよい 85
・その他 7
無効 44

(回収率96%)

 南犬飼村と国府村は壬生町との合併に反対する意見もあり,時間をかけて進めることにしました。
 しかし,11月になると,壬生町と稲葉村の合併に刺激をうけた南犬飼村の南部国谷(くにや)地区の人々から,早く壬生町と合併したい,という意見が出されました。再び南犬飼村の合併問題が持ち上がりました。村で世論調査をすると,壬生町と合併するという賛成が多数になり,合併を促進することになりました。
 その後,合併についていろいろ話し合いました。しかし,合併の問題の一つに町名がありました。南犬飼村の人々は,合併したら新しい町の名は「鳥居町」「三生町(みぶまち)」「黒川町」といったものにしたいと要望しました。しかし,壬生町はあくまで「壬生町」にしたいと譲らず,簡単には町名が決まりません。その後も話し合った結果,結局は「壬生町」でまとまり,1955(昭和30)年7月28日,新しい「壬生町」が誕生しました。
 お祝いの行事は2日間にわたり,小中学生の旗行列,農業祭,町民運動会が盛大に行われ,山車(だし)が出たり花火が打ち上げられたりしました。
 国府村では,栃木市と合併するか,壬生町と合併するかで,人々の意見が分かれました。そこで村では世論調査を行いました。すると多くの人が,栃木市との合併を望んでいるということが分かりました。
栃木市と合併希望 686票
壬生町と合併希望 269票
無効 15票
未提出 9票
『栃木県町村合併誌』第5巻より
 しかし,特に壬生町に近い,惣社東(そうじゃひがし),柳原,大塚癸生(けぶ)の3つの集落の人々は,壬生町との合併を望んでいました。
 何回も話し合いがもたれましたが,最終的には村議会で栃木市との合併が決定され,1957(昭和32)年に栃木市と合併しました。