1 町村合併

171 ~ 172 / 201ページ
 第二次大戦前の日本には,小さい村や町がたくさんありました。戦後民主化を進めるために,アメリカから来た視察団の人達は日本政府に対し,小さな町や村を合併して規模を大きくすることを勧めました。小さな町や村のままでは,社会全体で支え合うしくみが作りにくいからです。また,国内からも少ない予算や人数では,社会全体が豊かになっていくことは難しいという声が高まり,町村合併が実施されることになりました。
 そこで,栃木県では1953(昭和28)年に調査を行い,下都賀郡の34市町村を9市町村にするという,町村合併計画案を出しました。
 壬生町の合併予定町村名は,国府(こう)村(今の栃木市の一部),壬生町,稲葉村,南犬飼村の1町3か村でした。
 1954(昭和29)年3月には最初の町村合併促進会がもたれ,稲葉村村長と議長から,壬生町と合併したいという希望が出されました。場所的にも村民の希望からも計画はスムーズに進み,壬生町と稲葉村は合併することに決まりました。
合併予定町村名 人口 面積(ha)
国府村 6,403 1,480
壬生町 11,501 1,850
稲葉村 7,168 1,810
南犬飼村 7,392 2,430
32,464 7,570

町村合併計画第一次試案

『栃木県町村合併誌』第4巻より

南犬飼村合併希望の有無
回答世帯 1,112
合併を希望しないもの 310
合併を希望するもの 758
・壬生町との合併希望 485
・宇都宮市との合併希望 181
・どこでもよい 85
・その他 7
無効 44

(回収率96%)

 南犬飼村と国府村は壬生町との合併に反対する意見もあり,時間をかけて進めることにしました。
 しかし,11月になると,壬生町と稲葉村の合併に刺激をうけた南犬飼村の南部国谷(くにや)地区の人々から,早く壬生町と合併したい,という意見が出されました。再び南犬飼村の合併問題が持ち上がりました。村で世論調査をすると,壬生町と合併するという賛成が多数になり,合併を促進することになりました。
 その後,合併についていろいろ話し合いました。しかし,合併の問題の一つに町名がありました。南犬飼村の人々は,合併したら新しい町の名は「鳥居町」「三生町(みぶまち)」「黒川町」といったものにしたいと要望しました。しかし,壬生町はあくまで「壬生町」にしたいと譲らず,簡単には町名が決まりません。その後も話し合った結果,結局は「壬生町」でまとまり,1955(昭和30)年7月28日,新しい「壬生町」が誕生しました。
 お祝いの行事は2日間にわたり,小中学生の旗行列,農業祭,町民運動会が盛大に行われ,山車(だし)が出たり花火が打ち上げられたりしました。
 国府村では,栃木市と合併するか,壬生町と合併するかで,人々の意見が分かれました。そこで村では世論調査を行いました。すると多くの人が,栃木市との合併を望んでいるということが分かりました。
栃木市と合併希望 686票
壬生町と合併希望 269票
無効 15票
未提出 9票
『栃木県町村合併誌』第5巻より
 しかし,特に壬生町に近い,惣社東(そうじゃひがし),柳原,大塚癸生(けぶ)の3つの集落の人々は,壬生町との合併を望んでいました。
 何回も話し合いがもたれましたが,最終的には村議会で栃木市との合併が決定され,1957(昭和32)年に栃木市と合併しました。