[野仏をめぐる信仰]

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 壬生の町内には多数の野仏があります。「壬生町史」には,神社や寺院・墓地にあるものを除いて,約350体の石塔がリストアップされています。墓地にはまだ多数の石塔があるので,さらに数は増えそうです。石塔には,そのいわれなど全く判らなくなっているものも少なくありません。どんな人がどんな祈りをささげてきたのか,道ばたの野仏から,壬生の庶民の歴史を想像することができます。
○馬頭観音(ばとうかんのん)…家畜である馬や牛の健康を願って立てられた馬頭観音の仲間(馬頭観音・馬力神・勝善神(しょうぜんしん)・牛力神)が,数の上では一番多く,馬や牛がいかに大切に考えられていたのかが分かります。馬の守り神とされている勝善神は,上田(かみだ)から下馬木(げばぎ)にいたる街道沿いに多く分布しています。
○十九夜塔…「十九夜供養塔」と刻まれた石塔や,立てひざで右手をほおにあてている姿の観音様(如意輪観音(にょいりんかんのん))は,安産子育てを願う女の人の信仰を集めました。また,信仰の場であったと同時に女の人たちの楽しみの場であったことでしょう。
○庚申塔(こうしんとう)…庚申(かのえ・さる)の日に,庚申講の人々が宿に集まり,庚申様のお掛け軸の前で飲食をし,豊作を祈りました。しかし本来は「庚申の夜は,人間の身体にいる三尸という虫が,人間の眠っている間に天へ行き,人間の罪を報告するので寿命が縮められてしまう。これを防ぐために庚申の夜は一晩中起きている」という中国の道教の影響でこの信仰が生まれたといわれています。
町内に残る数々の野仏,石塔

 
壬生に伝わる昔ばなしから

 姥すての話
 むかし,むかしある村の話だけれど,六十になった親をすてることになっていたんだってさ。
 ある家のおっかさん(お母さん)が六十になったので,伜がおっかさんをおぶって(背負って)山へ棄てにいったって。おっかさんは道々木を折って印をつけていったんだと。
 とうとうおっかさんを置いて来る所まで来たって。その時
「なんで,かーちゃんはそんな印をつけてきたんだい。どうせすてられるのに。」
と伜が聞いたんだって。
「おれは山へすてられて,ここで死ぬんだが,おめえ(お前)は家へ帰っていくんだから,道をまちがっては大変だから……ふんだからつけてきたんだ。」
といったんだって。
その伜は
「おれのこと,そんなに思ってくれるおっかさんはうっちゃって(打捨てて)こられね。」
と思って,またおぶって家へ帰ってきちゃったって。それで,おっかさんのこと家の土蔵の中に隠しておいたんだって。
 そうすると,その国の殿様が
「灰で縄なって出せ」
といって,お触れを回したんだって。伜は考えてもわからないので,おっかさんに聞いたんだって。そうしたら
「縄をきつくなって,それを鉄の板の上で燃して,そのまま持っていけ」
と教えられて,そうやって殿様の前に持っていったって。殿様は,
「こんなこと,お前に考えられるわけねえ。」
といって,
「だれにおさった。」
というんだって。伜は
「悪いこととは知っていたけんど,六十になったおっかさんをうっちゃってくんのが忍びねので,土蔵の中に隠しておいて,そのおっかさんから,おさってこれをやったんだ。」
といったんだって。
 それで殿様にほめられて
「年寄を粗末にするな」
といわれて,褒美をもらって帰って来たんだって。
 それから姥すてはなくなったて話だ。
(話者 藤井馬場の阿久津ヨシノ 明治三十六年生まれ)
「壬生町史」には,たくさんの昔話が記録されています。