年号 | 西暦 | 将軍 | 城主名 | 石高 | 城主について | 城・城下町について | |
寛正3 | 1462 | 胤業 | ・新町堀の内に館を構える | ||||
文明年間 | 70 | 壬 | 綱重 | ・現城跡に築城する | |||
頃 | 綱房 | ||||||
生 | 綱雄 | ||||||
天正18 | 1590 | 義雄 | ・小田原役で没.壬生氏滅亡 | ||||
結城秀康の領内 | (壬生城は廃城か) | ||||||
慶長6 | 1601 | ||||||
家康 | ・信濃高島から減封され入封 | ||||||
元和2 | 16 | 秀 | ・日光東照社造営副惣督 | ||||
3 | 17 | 日 | ・将軍秀忠 日光社参の帰途に宿泊 | ||||
8 | 22 | 忠 | 根 | 吉明 | 1.0余 | ・同上(宇都宮城宿泊を急遽変更) | |
寛永5 | 28 | 野 | ・将軍家光 日光社参の往路に宿泊 | ||||
9 | 32 | ・将軍家光 日光社参の帰途に宿泊 | |||||
11 | 34 | ・豊後府内へ転封 | |||||
城番が置かれる | ・岡本宮内義保,福原淡路資盛 城番を命ぜられる | ||||||
12 | 35 | ||||||
家 | ・下総国内から入封 | ||||||
阿 | ・老中になる | ||||||
13 | 36 | 部 | 忠秋 | 2.5 | ・将軍家光 日光社参の帰途に宿泊 | ||
16 | 39 | ・武蔵忍へ転封 | |||||
・下総国内から入封 | |||||||
17 | 40 | 正次 | 2.5 | ・将軍家光 日光社参の帰途に宿泊 | |||
18 | 41 | 光 | ・正次 卒す | ||||
・安次 城主となる | |||||||
三 | 弟共次に5千石分知する | ||||||
慶安1 | 48 | ・将軍家光 日光社参の帰途に宿泊 | |||||
承応2 | 53 | ・城内悉く焼失 本丸御殿焼失 | |||||
万治2 | 59 | 家 | 安次 | 2.0 | ・本丸御殿再建 | ||
寛文1 | 61 | ・米蔵(千石入)幕命により建設 | |||||
3 | 63 | ・将軍家綱 日光社参の帰途に宿泊 | |||||
7 | 67 | 綱 | ・米蔵の屋根等修理 | ||||
延宝6 | 78 | ・米蔵の屋根等修理 | |||||
天和2 | 82 | 浦 | ・安次 卒す | ||||
・明敬 城主となる | |||||||
貞享3 | 86 | 綱 | 明敬 | ・奏者番になる | |||
元禄2 | 89 | ・若年寄になり奏者番に復す | |||||
5 | 92 | ・日向縣(改め延岡)へ転封 | |||||
松 | 3.2 | ・常陸土浦から入封 | |||||
吉 | 輝貞 | 4.2 | ・側用人になり、1万石加増 | ・壬生城が改築される | |||
8 | 95 | 平 | ・上野高崎へ転封 | ||||
・近江水口から入封 | |||||||
正徳1 | 1711 | 加 | 明英 | ・若年寄を辞す | |||
2 | 12 | 家 | 藤 | 2.5 | ・明英 卒す | ||
嘉矩 | ・嘉矩 城主となり、近江水口へ転封 | ||||||
宣 | ・近江水口から入封 | ||||||
5 | 15 | 忠英 | ・この頃 中門を焼失 | ||||
享保1 | 16 | 鳥 | 3.0 | ・忠英 卒す | |||
3 | 18 | ・忠瞭 城主となる | |||||
吉 | 忠瞭 | ・本丸、二の丸土塁を補修 | |||||
20 | 35 | 居 | ・忠瞭 壬生において卒す | ||||
宗 | ・忠意 城主となる | ||||||
延享4 | 47 | 家 | ・奏者番となる | 「用材搬入 | |||
寛延4 | 51 | 重 | ・御厩前下水樋・二ノ丸堰・中門 | ||||
宝暦2 | 52 | 家 | ・寺社奉行を兼ねる | ||||
4 | 54 | 重 | ・城下町 大火 | ||||
10 | 60 | ・若年寄のち西丸若年寄 | |||||
11 | 61 | ・西丸若年寄を免ぜられる | |||||
12 | 62 | ・奏者番兼寺社奉行となる | |||||
家 | 忠意 | のち西丸若年寄となる | |||||
明和4 | 67 | ・表町上横町焼失 城内東郭焼失 | |||||
安永8 | 79 | ・西丸若年寄を免ぜられる | |||||
天明1 | 81 | 治 | ・若年寄のち西丸老中となる | ||||
3 | 83 | ・西高野より出火、城内に飛火 | |||||
6 | 86 | ・老中となる | |||||
寛政5 | 93 | 鳥 | ・病により老中を辞す | ||||
6 | 94 | ・忠意 卒す | |||||
・忠燾 城主となる | |||||||
11 | 99 | ・本丸内に御霊社(精忠神社)鎮座 | |||||
享和2 | 1802 | ・城下町で火事1軒焼失 | |||||
家 | 忠燾 | ・城下町で火事 神主家半焼 | |||||
3 | 03 | ・落雷で表町7軒焼失 | |||||
文化5 | 08 | ・三の丸土塁上施設の改修 | |||||
14 | 居 | ・奏者番になる | |||||
文政4 | 21 | 斉 | ・忠燾 卒す | ||||
・忠威 城主となる | |||||||
9 | 26 | 忠威 | ・大坂加番を命じられる | ||||
・忠威 卒す | |||||||
3.0 | ・忠挙 城主となる | ||||||
天保8 | 37 | 家 | ・奏者番になる | ・城下町 大火 | |||
嘉永2 | 49 | ・二の丸北西隅に御霊社遷宮 | |||||
4 | 51 | ・西丸若年寄になる | |||||
6 | 53 | 慶 | 忠挙 | ・若年寄になる | ・城下町大火(伊勢屋火事)、東郭等焼失 | ||
7 | 54 | 家 | ・三の丸家老屋敷焼失 | ||||
安政3 | 56 | ・東郭・大手前馬出土塀を修理 | |||||
4 | 57 | ・忠挙 卒す | |||||
定 | ・忠宝 城主になる | ||||||
6 | 59 | ・二の丸に部屋2棟建設 | |||||
・本丸塀を修理 | |||||||
万延1 | ・二の丸御判物蔵建替 | ||||||
文久2 | 62 | 家 | ・下台郭に長屋2棟建設 | ||||
3 | 63 | ・下横町南側に長屋2棟建設 | |||||
・三の丸・東郭に各々長屋1棟建設 | |||||||
慶応1 | 65 | 茂 | ・南門外に長屋4棟建設 | ||||
2 | 66 | ・三の丸武家屋敷1軒焼失 | |||||
3 | 67 | 慶 | 忠宝 | ・三の丸武家屋敷1軒焼失 | |||
喜 | ・下台郭長屋2棟焼失 | ||||||
明治1 | 68 | ・下台郭に長屋建設(東の入口木戸際) | |||||
・壬生城攻撃さる.町屋4~5軒焼失 | |||||||
・三の丸西部の屋敷割りを変更 | |||||||
・東下台に長屋建設 | |||||||
2 | 69 | ・三の丸に諸稽古場を建設(移転) | |||||
・忠宝 版籍奉還 | ・新町裏に武家屋敷6軒建設 | ||||||
・忠宝 藩知事になる | ・城の破損箇所の放置を上申・認可 | ||||||
3 | 70 | ・忠宝藩知事を辞す | ・下馬木に隠居所建設 | ||||
・忠文 藩知事になる | |||||||
4 | 71 | ・廃藩置県.藩知事免ぜられる | |||||
・県庁用地・士族居屋敷を除き城地払下げ | |||||||
昭和2 | 1927 | ・本丸跡にあった鳥居家の隠居所 落雷で焼失 | |||||
23 | 48 | ・本丸跡に壬生中学校建設(本丸北~東側の土塁・堀 消滅) | |||||
31 | 56 | ・校庭拡張(本丸西側の一部土塁・堀 消滅) | |||||
36 | 61 | ・校庭拡張(本丸西側の土塁・堀 消滅) | |||||
56 | 81 | ・壬生中学校移転 | |||||
58 | 83 | ・本丸跡発掘調査(昭和62年まで断続的に実施) | |||||
60 | 85 | ・本丸跡に中央公民館・図書館・歴史民俗資料館を建設 | |||||
平成1 | 89 | ・本丸南側土塁・堀 整備(遺構的には大半が消滅) |