壬生城と城下町年表

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年号西暦将軍城主名石高城主について城・城下町について
寛正31462  胤業  ・新町堀の内に館を構える
文明年間70 綱重  ・現城跡に築城する
   綱房   
   綱雄   
天正181590  義雄 ・小田原役で没.壬生氏滅亡 
   結城秀康の領内(壬生城は廃城か)
慶長61601      
  家康   ・信濃高島から減封され入封 
元和216   ・日光東照社造営副惣督 
317    ・将軍秀忠 日光社参の帰途に宿泊
822吉明1.0余 ・同上(宇都宮城宿泊を急遽変更)
寛永528    ・将軍家光 日光社参の往路に宿泊
932     ・将軍家光 日光社参の帰途に宿泊
1134    ・豊後府内へ転封 
        
   城番が置かれる・岡本宮内義保,福原淡路資盛 城番を命ぜられる
1235      
     ・下総国内から入封 
     ・老中になる 
1336 忠秋2.5 ・将軍家光 日光社参の帰途に宿泊
1639    ・武蔵忍へ転封 
      ・下総国内から入封 
1740  正次2.5 ・将軍家光 日光社参の帰途に宿泊
1841   ・正次 卒す 
      ・安次 城主となる 
     弟共次に5千石分知する 
慶安148     ・将軍家光 日光社参の帰途に宿泊
承応253    ・城内悉く焼失 本丸御殿焼失
万治259 安次2.0 ・本丸御殿再建
寛文161     ・米蔵(千石入)幕命により建設
363     ・将軍家綱 日光社参の帰途に宿泊
767    ・米蔵の屋根等修理
延宝678     ・米蔵の屋根等修理
天和282   ・安次 卒す 
      ・明敬 城主となる 
貞享386 明敬 ・奏者番になる 
元禄289    ・若年寄になり奏者番に復す 
592    ・日向縣(改め延岡)へ転封 
    3.2・常陸土浦から入封 
   輝貞4.2・側用人になり、1万石加増・壬生城が改築される
895   ・上野高崎へ転封 
      ・近江水口から入封 
正徳11711 明英 ・若年寄を辞す 
212 2.5・明英 卒す 
    嘉矩 ・嘉矩 城主となり、近江水口へ転封 
     ・近江水口から入封 
515  忠英  ・この頃 中門を焼失
享保116  3.0・忠英 卒す 
318   ・忠瞭 城主となる
   忠瞭  ・本丸、二の丸土塁を補修
2035  ・忠瞭 壬生において卒す 
     ・忠意 城主となる 
延享447   ・奏者番となる「用材搬入
寛延451    ・御厩前下水樋・二ノ丸堰・中門
宝暦252   ・寺社奉行を兼ねる 
454    ・城下町 大火
1060    ・若年寄のち西丸若年寄 
1161    ・西丸若年寄を免ぜられる 
1262    ・奏者番兼寺社奉行となる 
   忠意  のち西丸若年寄となる 
明和467     ・表町上横町焼失 城内東郭焼失
安永879    ・西丸若年寄を免ぜられる 
天明181   ・若年寄のち西丸老中となる 
383     ・西高野より出火、城内に飛火
686    ・老中となる 
寛政593   ・病により老中を辞す 
694    ・忠意 卒す 
      ・忠燾 城主となる 
1199     ・本丸内に御霊社(精忠神社)鎮座
享和21802     ・城下町で火事1軒焼失
   忠燾  ・城下町で火事 神主家半焼
303     ・落雷で表町7軒焼失
文化508    ・三の丸土塁上施設の改修
14    ・奏者番になる 
文政421   ・忠燾 卒す 
      ・忠威 城主となる 
926  忠威 ・大坂加番を命じられる 
      ・忠威 卒す 
     3.0・忠挙 城主となる 
天保837   ・奏者番になる・城下町 大火
嘉永249     ・二の丸北西隅に御霊社遷宮
451    ・西丸若年寄になる 
653 忠挙 ・若年寄になる・城下町大火(伊勢屋火事)、東郭等焼失
754    ・三の丸家老屋敷焼失
安政356     ・東郭・大手前馬出土塀を修理
457    ・忠挙 卒す 
     ・忠宝 城主になる 
659     ・二の丸に部屋2棟建設
       ・本丸塀を修理
万延1     ・二の丸御判物蔵建替
文久262    ・下台郭に長屋2棟建設
363     ・下横町南側に長屋2棟建設
      ・三の丸・東郭に各々長屋1棟建設
慶応165    ・南門外に長屋4棟建設
266     ・三の丸武家屋敷1軒焼失
367 忠宝  ・三の丸武家屋敷1軒焼失
     ・下台郭長屋2棟焼失
明治168     ・下台郭に長屋建設(東の入口木戸際)
       ・壬生城攻撃さる.町屋4~5軒焼失
      ・三の丸西部の屋敷割りを変更
      ・東下台に長屋建設
269     ・三の丸に諸稽古場を建設(移転)
     ・忠宝 版籍奉還・新町裏に武家屋敷6軒建設
     ・忠宝 藩知事になる・城の破損箇所の放置を上申・認可
370   ・忠宝藩知事を辞す・下馬木に隠居所建設
     ・忠文 藩知事になる 
471    ・廃藩置県.藩知事免ぜられる 
         ・県庁用地・士族居屋敷を除き城地払下げ
昭和21927      ・本丸跡にあった鳥居家の隠居所 落雷で焼失
2348      ・本丸跡に壬生中学校建設(本丸北~東側の土塁・堀 消滅)
3156      ・校庭拡張(本丸西側の一部土塁・堀 消滅)
3661      ・校庭拡張(本丸西側の土塁・堀 消滅)
5681      ・壬生中学校移転
5883      ・本丸跡発掘調査(昭和62年まで断続的に実施)
6085      ・本丸跡に中央公民館・図書館・歴史民俗資料館を建設
平成189       ・本丸南側土塁・堀 整備(遺構的には大半が消滅)