(1)第一期 壬生氏の時代

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 壬生氏については、活躍したのが400年も前であるうえ、江戸時代以前に滅亡したため良質の史料が少なく、明らかになっていないことの多い大名である。
 寛正3年(1462)新町堀の内(柵の内)に壬生氏の初代、胤業が居を構えたことにより、壬生城の歴史が始まったとされている。
 壬生氏の系譜について、従来は、京都の公家の壬生氏(小槻氏)の一族であるという胤業が京都から下向し壬生に土着した、というのが通説になっていたが、最近では、地元下野の有力大名の一人、宇都宮氏の一族(横田氏)の出身ではないか、との考え方が『壬生町史』(通史編I)を始めとして示されている。
 通説と新説のどちらが正しいのかは今後の研究に委ね、ここでは系譜の問題には触れず通説に従い、寛正3年に壬生胤業が壬生に本拠を構えたことで壬生城の始まり、としておきたい。
 壬生氏は胤業のあと、綱重・綱房・綱雄・義雄の5代にわたり戦国大名として壬生城を支配していくが、現在の城址公園を中心とする壬生城を築いて壬生氏の本拠としたのは、2代目の綱重とされている。
 壬生氏の勢力は、壬生から北西方向、つまり鹿沼・日光方面に拡大していった。それに伴い、本拠も鹿沼に移していくが、壬生城は壬生氏直轄の城として続いていたようである。
 壬生氏が勢力を拡大していった時期と下野国内での戦国時代の進行は、同じように進んでいる。つまり、下野国内での隣り合う大名同士の勢力争いから、やがて越後の上杉氏、常陸の佐竹氏、そして相模の北条氏(後北条氏)といった国外の勢力により、東北南部から甲信越をも含めた関東全域を舞台とした争乱に巻込まれていく。その結果北条氏の勢力下に組込まれ、天正18年(1590)に豊臣秀吉による小田原征伐が行われると、壬生氏5代目の義雄は、北条方の一人として小田原城に籠城し北条氏と共に滅亡したことにより壬生氏の時代が終わる。