壬生城に建てられていた塀や柵の位置は、下の図〔図-7〕のようになっている。
①塀
塀が建てられているところは、図にあるように、本丸・二の丸の塁上、東郭のうち東の塁上と馬出、および南追手門付近となっている。
このうち、本丸塁上の塀については、『野州壬生宿城一件』に総延長178間の「惣廻り瓦」塀であったことが記されている。
また二の丸以下の塀については、『壬生領史略』により狭間のある塀であったことがわかる。
② 柵
柵については、三の丸と東郭に建てられていた。文化5年の『改変伺』によると、柵の建設の時期は、少なくとも文化5年を境に2つの時期に分けられる。
つまり、南追手門から中門にかけて、搦手門の両側、それに東郭の南縁の塁上については、文化5年にはすでに柵が描かれているが、これ以外の三の丸の大半と東郭の北縁については、文化5年以降の建設ということができる。