(3)蔵・小屋・厩

36 ~ 37 / 78ページ
①蔵・小屋
 ここで取り上げる蔵や小屋、次に見ていく番所などは、建築物としては目立たず地味な建物であるため、あまり注目されないが、藩を運営していくためには不可欠な建物と言えよう。
 壬生城の蔵などについては、江戸時代初期と末期のものが明らかになっている。初期の状況については『野州壬生御宿城一件』、末期の状況は『壬生領史略』によるもので、下の表(表-9・10)のようになっている。(順番は表化にあたり並べ換えている。)
 この2つの表を比較すると、名称が一致するのは“御米蔵”だけで、それにしても規模は全く異なっており、200年以上の時の流れが感じられる。
 蔵については『複製図』にも3棟が描かれているが、二の丸の西部“居宅”の上方(北方)に、上から“煙硝蔵”“城米蔵”“武具蔵”と記されている。
 このうち城米蔵については、表-10中「7 西北之方 御米蔵」と場所的に近い。
 武具蔵については、場所的にみると表-10中「5 西之方 御武器蔵」の辺りと考えられるが、別に「10 北之方 御武具蔵」が見られる。
 さらに煙硝蔵については、二の丸内には見られず「25正念寺曲輪 火薬蔵」とあるのがこれに相当すると考えられる一方、同じ嘉永年間の史料で、下台郭に「ヱンシャウクラ」と記している史料もあるなど、不明な点もある。
 このように蔵・小屋については、史料によって名称・場所などに差異が見られ、さらに検討を加える必要がある。
 
  蔵・小屋名梁間桁行備考
1御米蔵2.513米千石入.
2米蔵2.59 
3土蔵2.57二階有.
4御箪笥蔵2.59 
5塩硝蔵23 
小屋6御馬方衆部屋26 
7粥焼小屋25 
8小屋26 
9御小人衆馳走所311 
10普請小屋2.525 
11木挽小屋2.516 
12八百屋小屋225 
13桶入小屋413 
※単位:間(『御殿并城内坪数間数』)
表-9 蔵・小屋(江戸初期)

場所名称所管規模
間口奥行
二の丸1二の丸御門内御判物蔵御用所預り2.52
2二の丸御門内御蔵書蔵学館預り2.52
3御本丸御堀之方御記録蔵御用所方32.5
4御本丸御堀之方稗大豆蔵御蔵方43
5西之方御武器蔵大納戸63
6西之方御記録蔵御用人方32.5
7西北之方御米蔵御蔵方104
8御記録蔵並諸道具蔵請払方32.5
9北之方御宝蔵大納戸63
10北之方御武具蔵大納戸53
11東北之方籾蔵御蔵方103.5
12東北之方籾蔵御蔵方83.5
13東北之隅御兵具小屋大納戸82.5
14東北之隅鍛冶場小屋大納戸32.5
15御台所北之方御台所諸道具請払方32.5
三の丸16春屋郭春屋諸道具春屋役2.52.5
17春屋郭春屋役所春屋役83
18春屋郭之内作事役所作事方3.53
19春屋郭之内作事材木小屋作事方103
20春屋郭之内作事材木小屋作事方123
21西条明屋敷□小屋作事方123
22西条明屋敷□小屋作事方103
東郭23郡奉行屋敷内記録蔵郡方2.52
24町奉行屋敷内記録蔵町方2.52
25 正念寺郭火薬蔵大砲方2.52
不明26 二之内□小屋作事方8 3
表-10 蔵・小屋(江戸末期)

②厩
 『野州壬生御宿城一件』には、本丸に「御厩弐匹立并部屋共ニ弐間半二八間廿一坪」、二の丸に「弐拾匹立 御厩 七匹立 仮御厩」というような厩の存在が記されているが、これらが将軍の宿城としての施設なのか藩のものなのか明確ではなく、他に本丸・二の丸の厩について触れた史料も見当たらない。
 一方『複製図』を見ると、東郭のほぼ中央に「厩」が見られる。この厩は他の絵図にも記され近くには「馬場」も見られる。「伊勢屋火事」の記録には「御馬屋」「馬場」のほか、厩の西方に「御馬や奉行」「御馬や小頭」の役名の者の屋敷が見られる。
 また、この馬屋の両側には御門と記されその内側には空間もあり、厩の付近は、一つの区画を形作っていたようである。