ここで取り上げる蔵や小屋、次に見ていく番所などは、建築物としては目立たず地味な建物であるため、あまり注目されないが、藩を運営していくためには不可欠な建物と言えよう。
壬生城の蔵などについては、江戸時代初期と末期のものが明らかになっている。初期の状況については『野州壬生御宿城一件』、末期の状況は『壬生領史略』によるもので、下の表(表-9・10)のようになっている。(順番は表化にあたり並べ換えている。)
この2つの表を比較すると、名称が一致するのは“御米蔵”だけで、それにしても規模は全く異なっており、200年以上の時の流れが感じられる。
蔵については『複製図』にも3棟が描かれているが、二の丸の西部“居宅”の上方(北方)に、上から“煙硝蔵”“城米蔵”“武具蔵”と記されている。
このうち城米蔵については、表-10中「7 西北之方 御米蔵」と場所的に近い。
武具蔵については、場所的にみると表-10中「5 西之方 御武器蔵」の辺りと考えられるが、別に「10 北之方 御武具蔵」が見られる。
さらに煙硝蔵については、二の丸内には見られず「25正念寺曲輪 火薬蔵」とあるのがこれに相当すると考えられる一方、同じ嘉永年間の史料で、下台郭に「ヱンシャウクラ」と記している史料もあるなど、不明な点もある。
このように蔵・小屋については、史料によって名称・場所などに差異が見られ、さらに検討を加える必要がある。
蔵・小屋名 | 梁間 | 桁行 | 備考 | ||
蔵 | 1 | 御米蔵 | 2.5 | 13 | 米千石入. |
2 | 米蔵 | 2.5 | 9 | ||
3 | 土蔵 | 2.5 | 7 | 二階有. | |
4 | 御箪笥蔵 | 2.5 | 9 | ||
5 | 塩硝蔵 | 2 | 3 | ||
小屋 | 6 | 御馬方衆部屋 | 2 | 6 | |
7 | 粥焼小屋 | 2 | 5 | ||
8 | 小屋 | 2 | 6 | ||
9 | 御小人衆馳走所 | 3 | 11 | ||
10 | 普請小屋 | 2.5 | 25 | ||
11 | 木挽小屋 | 2.5 | 16 | ||
12 | 八百屋小屋 | 2 | 25 | ||
13 | 桶入小屋 | 4 | 13 | ||
※単位:間(『御殿并城内坪数間数』) | |||||
表-9 蔵・小屋(江戸初期) |
場所 | 名称 | 所管 | 規模 | |||
間口 | 奥行 | |||||
二の丸 | 1 | 二の丸御門内 | 御判物蔵 | 御用所預り | 2.5 | 2 |
2 | 二の丸御門内 | 御蔵書蔵 | 学館預り | 2.5 | 2 | |
3 | 御本丸御堀之方 | 御記録蔵 | 御用所方 | 3 | 2.5 | |
4 | 御本丸御堀之方 | 稗大豆蔵 | 御蔵方 | 4 | 3 | |
5 | 西之方 | 御武器蔵 | 大納戸 | 6 | 3 | |
6 | 西之方 | 御記録蔵 | 御用人方 | 3 | 2.5 | |
7 | 西北之方 | 御米蔵 | 御蔵方 | 10 | 4 | |
8 | 御記録蔵並 | 諸道具蔵 | 請払方 | 3 | 2.5 | |
9 | 北之方 | 御宝蔵 | 大納戸 | 6 | 3 | |
10 | 北之方 | 御武具蔵 | 大納戸 | 5 | 3 | |
11 | 東北之方 | 籾蔵 | 御蔵方 | 10 | 3.5 | |
12 | 東北之方 | 籾蔵 | 御蔵方 | 8 | 3.5 | |
13 | 東北之隅 | 御兵具小屋 | 大納戸 | 8 | 2.5 | |
14 | 東北之隅 | 鍛冶場小屋 | 大納戸 | 3 | 2.5 | |
15 | 御台所北之方 | 御台所諸道具 | 請払方 | 3 | 2.5 | |
三の丸 | 16 | 春屋郭 | 春屋諸道具 | 春屋役 | 2.5 | 2.5 |
17 | 春屋郭 | 春屋役所 | 春屋役 | 8 | 3 | |
18 | 春屋郭之内 | 作事役所 | 作事方 | 3.5 | 3 | |
19 | 春屋郭之内 | 作事材木小屋 | 作事方 | 10 | 3 | |
20 | 春屋郭之内 | 作事材木小屋 | 作事方 | 12 | 3 | |
21 | 西条明屋敷 | □小屋 | 作事方 | 12 | 3 | |
22 | 西条明屋敷 | □小屋 | 作事方 | 10 | 3 | |
東郭 | 23 | 郡奉行屋敷内 | 記録蔵 | 郡方 | 2.5 | 2 |
24 | 町奉行屋敷内 | 記録蔵 | 町方 | 2.5 | 2 | |
― | 25 | 正念寺郭 | 火薬蔵 | 大砲方 | 2.5 | 2 |
不明 | 26 | 二之内 | □小屋 | 作事方 | 8 | 3 |
表-10 蔵・小屋(江戸末期) | ||||||
②厩
『野州壬生御宿城一件』には、本丸に「御厩弐匹立并部屋共ニ弐間半二八間廿一坪」、二の丸に「弐拾匹立 御厩 七匹立 仮御厩」というような厩の存在が記されているが、これらが将軍の宿城としての施設なのか藩のものなのか明確ではなく、他に本丸・二の丸の厩について触れた史料も見当たらない。
一方『複製図』を見ると、東郭のほぼ中央に「厩」が見られる。この厩は他の絵図にも記され近くには「馬場」も見られる。「伊勢屋火事」の記録には「御馬屋」「馬場」のほか、厩の西方に「御馬や奉行」「御馬や小頭」の役名の者の屋敷が見られる。
また、この馬屋の両側には御門と記されその内側には空間もあり、厩の付近は、一つの区画を形作っていたようである。