Ⅳ.城下町のすがた

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 壬生城下町は、表町と通町の2つの町で構成されていた。そして、壬生城下の町であるとともに壬生本郷などと呼ばれる米麦を生産する農村でもあり、日光道中壬生通の途次にある宿場でもあった。
 このような城下町の姿は、正徳2年(1712)に鳥居忠英が入封した時に提出された『壬生表町・通町明細帳』に詳しく記されている。『明細帳』は、今の町勢要覧のようなもので、当時の町の状況を知るには格好の史料であり、壬生の城下町の状況がわかる、数少なく、しかも最も詳しい史料である。
 それでは、この『明細帳』を中心に城下町について見ていこう。