①問屋・問屋場
問屋は、宿としての組織の頂点に位置するもので、表町と通町にそれぞれ1名ずつおり、問屋の屋敷を問屋場としていた。表町は上表町に通町は中通町に問屋場があった。
問屋場は、表町と通町が10日交替で勤め、当番となった問屋場へは、問屋と年寄2名、帳附2名、馬差1名の6名が詰め、10日間問屋の仕事にあたっていた。
このほか壬生宿で用意しておく人足や馬は、各々25名・匹ずつで、5名・匹が宿常備の人馬となっている。
②帳附才料
帳附とは、人馬の出動状況を記録する役で、昼夜2名ずつ当番の問屋へ詰め、人馬の調達にあたっていた。
③伝馬役
伝馬待番として、当番の問屋場に毎日、昼間は8名ずつ夜は2名ずつ詰め、急用あるいは臨時の通行に備えた。
④飛脚役
飛脚番として、それぞれの問屋に詰めていた。通町問屋場へは昼夜3名ずつ、表町問屋場へは昼間2名、夜は上番・下番が2名の計4名が詰めており、両町合わせて昼は5名、夜は7名が待機していたことになる。
日光から江戸への連絡の時は通町、江戸から日光への時は表町が飛脚番を勤めることになっていた。
また、臨時の通行や壬生藩で急用が生じた時は、両町の問屋に待機していた者が御用を勤めることになっていた。
⑤人足役
人足役は、宿内ではなく、在郷といわれる宿周辺の地域が勤めていた。表町分では、下馬木・西高野・今井・下台・藤葉に居住する者から83名、通町分では、先例によりとして下稲葉村地内になる釜ヶ渕から17名の計100名で勤めていた。
⑥御高札番
宿高札は下通町にあった。『宿村大概帳』には、その文言のうち、正徳元年(1711)5月付けと天保9年(1838)9月付で出された運賃の定めが記されている。このため、高札は問屋の所管となっていて、城下町に火事があった時は、通町での火事の時は表町問屋、表町火事の時は通町問屋が指図して高札を外し、避難させる手筈になっていた。
⑦自身番
飛脚役の者が順番に勤めていた。10月から翌年3月まで、両町とも2名ずつ昼夜巡回して、火の用心を呼び掛けるものであった。これは、主要な街道を管轄する道中奉行から、毎年通知があったと記されている。
役名 | 人数計 | 表町 | 通町 |
①問屋 | 2 | 1 | 1 |
②年寄 | 15 | 7 | 8 |
③中山道問屋 | 3 | 2 | 1 |
④帳附才料 | 29 | 14 | 15 |
⑤伝馬役 | 72 | 32 | 40 |
⑥飛脚役 | 126 | 54 | 72 |
⑦人足役 | 110 | 83 | 17 |
⑧辻番役 | 95 | 41 | 54 |
⑨御高札番 | 6 | 3 | 3 |
⑩自 身 番 役 | 7 | - | - |
⑪在郷役 | 5 | 4 | 1 |
⑫馬指 | 4 | 1 | 2 |
表-18 宿役人の構成 |