(4)本陣と脇本陣

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 大名が、参勤交代といわれる江戸と国元との往復の際、休息・宿泊するための施設として設けられたのが本陣であり、それを補助したのが脇本陣であった。
 壬生宿の場合、宿が徳川家の聖地、日光への途中にあったため、日光社参あるいは代参する大名の休泊も多かったことは十分考えられるが、具体的に物語る史料がなく、詳細は不明である。
 また、毎年京都から下向する奉幣使(これを例幣使という)が、日光東照宮に奉幣を終えたのち江戸へ向かう折にも壬生通を通行しており、このような公家も本陣・脇本陣を利用することになっていた。
 
①本陣
 先ず本陣の場所について。壬生宿の本陣は、『宿村大概帳』には次のように記されている。
  「本陣  凡建坪百弐拾五坪  門構 玄関付   字下通町 壱軒」
 この史料からは、下通町に存在することがわかるだけである。また、『複製図』では「町屋」としか記されていないため、場所の特定が難しいが、他の史料によると追手門前広小路の南側が本陣の場所になる。絵図によっては、この位置に「御本陣」と記しているものも見られる。
 この本陣のある所は、通町名主 松本庄兵衛家の屋敷であり、壬生宿では名主の家が本陣を務めていた。
 本陣の建物について見ると、『宿村大概帳』に約125坪(412m2)の建坪で、門構えがあり玄関も付いていることがわかるだけである。
 そこで他に史料を求めると、数点の史料が確認されたがここでは先ず、『壬生町史』(資料編近世)にも収録されている、『通町屋敷並尺間数書上帳』により見てみよう。
 「庄兵衛 間口拾八間壱尺 裏行二十五 間 家」で始まる、本陣松本庄兵衛家の間取は、下の表(表-19)のようになっている。(数字は算用数字に直してある)
 全部で14室あるが、表中で線の上側が本陣としての部分、下側が名主庄兵衛としての家の部分と考えられる。
 ここには『宿村大概帳』の記すとおり、7尺に2間の玄関式台が見られ、畳敷の縁側の付いた、上段(の間)、次ノ間などは、先にみた本丸御殿の書院や御殿の部分と同様であり、大名の宿泊する所であることを示している。
 また、料理の間という名称の部屋が4室もあり、うち1室には、9尺に3間の流しとなっており、多人数の食事を賄う場であることを示している。
 さて、下の図(図-16)は、本陣であった松本家の所蔵になる、本陣の平面図である。
「日光道中壬生宿 御本陣 松本庄兵衛」と記されている絵図であるが、残念なことに、作成された年号が入っていない。
 下の表(表-19)の間取と比較すると、両者にはかなり差異が見られる。
 たとえば、上段・次の間といった本陣の主要部をみると、下の図(図-16)の方が狭く部屋の名称も「三の間」があったり、下の表(表-19)には見られない部屋、複数の「御湯殿」が見られたり、というようになっている。
 下の図(図-16)に描かれた本陣は、全体が「コ」の字形で、中央に玄関・式台があり、左が本陣、右が住まいであり、この点は[表-19]と同じである。
 また、本陣の入口には門が2基あったことがわかる。向かって左が本陣の門、右が名主屋敷の門であったことが窺える。同時に、門と母屋とはかなり離れていたことがわかる。
 このことは、『壬生城廃城凡覚書』に描かれた「御本陣居宅ヅ」にも見ることができる。同図には、本陣がスケッチ風に描かれているが、上に挙げたもののほかに、門やその左右に延びる塀そして式台の屋根は瓦葺き、母屋の屋根は藁か茅と見られる草葺き、と考えられる。
 
部屋の名称広さ・床敷特記事項
上段10畳 畳但、縁側4畳 同
次ノ間12畳 同但、縁側4畳 同
次ノ間18畳 同但、縁側6畳 同
くつろぎの間9畳 同
広間28畳 同但、玄関式台 7尺ニ2間
物置3畳 同
料理間15畳 同
-  -9尺ニ4間半 板ノ間
-  -2間ニ3間 同
-  -9尺ニ3間 ながし
茶ノ間11畳 畳
勝手15畳 同
物置9畳 同
4畳 同
8畳 同
台所-  -2間5尺梁10間
表-19 本陣の部屋割

 
図-16 本陣の平面構成

 
②脇本陣
 脇本陣について『宿村大概帳』には、「脇本陣 凡建坪七拾四坪 門構 玄関附 字中通町 壱軒」と記されている。
 本陣が通町名主であったのに対し、脇本陣は、通町問屋の屋敷であった。
 本陣と同様に『通町屋敷並尺間数書上帳』によって間取を見ると、下の表〔表-20〕のようになっている。
「半兵衛 間口拾四間半 裏行三拾間 家」で始まる脇本陣の間取を見ると、本陣に較べると小ぢんまりした感じである。玄関の敷台(式台)はあるが、上段の間や縁側は見られず畳数も少ない。
 『壬生城廃城凡覚書』の挿し絵を見ると、脇本陣にも2基の門があり、建物の平面は「コ」の字形をしていて、屋根は草葺きであったと考えられる
脇本陣については、本陣以上に史料が残っていないため、ほとんどわかっていない。
 
部屋の名称広さ・床敷特記事項
座   敷6畳 畳 
次 ノ 間6畳 同 
次 ノ 間6畳 同 
次 ノ 間8畳 同 
玄   関6畳 同但 敷台有
中 ノ 間8畳 同 
茶 ノ 間9畳 同 
勝   手6畳 莚 
物   置4畳 畳 
勝   手12畳 莚 
問屋会所8畳 畳 
台   所-   2間半梁10間 土間
長   家-   2間ニ3間半 土間
表-20 脇本陣の部屋割