(3)河岸の役割

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 壬生河岸の役割としては、黒川遡航の最終地点の河岸として、大きく2つのことが考えられる。1つは領主のための機能、もう1つは商品流通の拠点である。
 
①領主のための機能
ア 江戸廻米
 年貢米等を江戸に運ぶ「廻米」の御用は、壬生河岸の設けられた第一の目的と考えられる。
 壬生城下町よりも北方にある藩領の村はもちろん、宇都宮や鹿沼周辺の天領(幕府領)や他家の領地の村からも、江戸へ回漕する年貢米等の積み出し港として、壬生河岸が利用された。
 元禄3年に幕府により定められた公定運賃は、米100石について4石、『明細帳』では「舟賃之儀ハ、御城米御給所米百俵ニ付、壬生より江戸迄四俵、外ニ壱俵ニ付錏弐拾文宛」となっていた。
イ 役船
 壬生藩主は参勤交代の往復に黒川を利用し、藩主や家臣および馬や諸荷物の運搬を、壬生の河岸問屋に賦課したものである。
 文化10年(1827)の役船について記された史料では、役船を勤めた河岸とその期間が記されているが、黒川の下流にある河岸から上流の河岸へ、という順番で行われ、1回に10日間余を勤めている。年間で通算すると、下河岸・藤井河岸・中河岸では51日、加藤河岸・上河岸では41日となっている。
 
②商品流通の拠点
 年貢米と同等かそれ以上に、商品の流通という点で、壬生河岸の果たした役割は大きい。黒川の遡航終点にある壬生河岸は、壬生通を中心とした街道によって広範囲な地域を経済圏としていた。物資の流れは、壬生通から会津中街道を経て会津方面まで及んでいる。
 壬生河岸を経て出入りする品物には、次のようなものがあった。
  壬生河岸から積み出される品物薪、炭、杉皮、板・材木、竹、干瓢、麻、石灰.
  壬生河岸で陸揚げされる品物米・雑穀、塩、肥料(糠・〆粕・油粕・干鰯)、相物(干し魚の類)、小間物(主に女性用の化粧用具・アクセサリー、荒物(雑貨)、太物(衣服用の反物).

 このように、壬生河岸から移出される品々は、主に壬生から北~西方の山間部で産出される品物や、干瓢以下の特産物であった。このうち薪については、堅く火保ちが良いため、江戸では「壬生薪」として評判が良かったという話が伝えられている。
 これに対して移入される品々は、食料品をはじめ衣食住に欠かせない日用品であり、同時に、“3-(3)③商売物”で触れた城下町で売買される商品でもあった。このことは、城下町の繁栄と壬生河岸の存在が密接なものであったことを物語っている。