(4)舟の航行と運賃

70 / 78ページ
①舟の種類
 黒川の合流する思川水系では、上流部と中・下流部では水量に差があるため、使われる舟の種類も異なっていた。上流では部賀舟や小鵜飼舟といわれる吃水の浅い舟、下流では高瀬舟が使われていた。
 壬生河岸で使われいたのは部賀舟で、舟数改めの史料によると、米300~500俵積で舟頭と水主の2名が乗り組んでいた。
 
②舟の航行
 黒川の流水量は先に触れたように、季節によって大きく変化していた。5月頃から11月頃までの夏季を中心とする季節、12月頃から4月頃までの冬季を中心とする季節とに分けられる。
 この流水量の変化は舟の航行にも反映し、『下野一国』に「冬ハ水少舟往行無之候」とあるように、冬季には舟の航行は休止された。
 
③舟賃
 年貢米の運賃については、元禄3年の幕府公定運賃が「米100石に付4石」、正徳2年の段階で「米100俵に付4俵」のほかに、「1俵に付、錏20文」となっていた。
 これに対して、一般の商品の場合はそれぞれ取り決めがあったが、薪炭の場合は「その時の水量次第」で運賃が決まったことが『明細帳』に記されている。
 なお、乙女河岸から壬生河岸までは、晴天であれば通常4日で到着しなければいけないことになっていた。もし遅れた場合の割引き率も定められており、5日では1割引、順に1日1割ずつ増え、9日で5割引、10日遅れではタダということになっていた。