Ⅱ壬生城 その絵図を探る

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6.日光道中壬生通分間延絵図 東京国立博物館蔵

 壬生城は壬生氏二代目綱重の築城により中世の城から、壬生藩の中心としての近世城郭へと大きく発展した城である。廃城までの壬生城の歴史を辿れば約400年余りとなり、その間時代の要請により幾度もの修築を受けてきた。とりわけ大きな修築は、松平輝貞が藩主の時代に行なわれたといわれる。このとき壬生城は大きく拡張整備がなされ、近世城郭の形態を整えることとなった。しかし、壬生城の姿については壬生綱重の築城時はもとより、松平輝貞の拡張整備以前の状態を示す直接的資料がほとんど見当たらないのが現状である。ここでは現在残されている城絵図などによって壬生城を探ってみることにする。
 
 
7.下野国壬生城図(「主図合結記」の内) 名古屋市蓬左文庫蔵

 名古屋市蓬左文庫に所蔵の「主図合結記」は、各種ある写本、類本の中で、もっとも現本に近いといわれる。この下野国壬生城図はその中にふくまれていたものである。城は、陣屋としての色合いが濃く、重層の櫓もない。本図は細部ではミスや脱落が認められるが、プランの大略はよく写しとっている。また、東追手門の三日月堀(馬出)が描かれておらず、拡張後の壬生城と大きく異なっている。
 
 
8.野州壬生城図(「日本絵図」の内) 天理大学附属天理図書館蔵

 「日本城図」の壬生城図は、城下の周辺の村々の名や家数まで載せているので異系に見えるが、これらは「主図合結記」の絵図と系統を同じくするものである。
 
 
9.下野壬生城図(「諸国当城之図」の内) 広島市立中央図書館蔵

 この壬生城図は、浅野文庫所蔵の「諸国当城之図」(全154枚)に収められたものである。本図は、城絵図というよりは城を中心とした城下町と壬生領の39ヶ村といわれる郷村を示した藩領域図である。
 
 
10.下野壬生城図(「日本分国絵図」第26帙 第111舗) 国立公文書館内閣文庫蔵

 端裏書には「下野壬生城図 三浦壱岐守」とあるので、三浦家時代の壬生城の姿と考えられる。「主図合結記」の壬生城図と同系統のものである。
 
 
11.「主図合結記」の野州壬生城図 国立公文書館内閣文庫蔵

 国立公文書館には何点かの写本が所蔵されているが、これは天保4年(1833)の写しである。
 
 
12.「主図合結記」の野州壬生城図 栃木県立図書館蔵
この図は、天保11年(1840)の写しである。

13.下野国壬生城図 国立国会図書館蔵

 この図は、壬生城と周辺にある領内の村を描いている。城そのものは、パターン化された描き方をしているが、城下町や各村々については、町や村の名前、家の軒数の書き込みがあり、同じ系統の絵図の中では、最も詳細である。この壬生城図は、「日本城図」の絵図と系統を同じくするものである。
 
 
14.壬生城下絵図 水口町立歴史民俗資料館蔵

 この図は、水口町立歴史民俗資料館の加藤家文書に収められているもので、精忠神社の壬生城図と内容がほぼ同一のものである。加藤佐渡守から鳥居丹波守に引き継ぎが行われた正徳2年(1712)頃に作成されたものと考えられる。
 
 
15.壬生城絵図 精忠神社蔵

 この図は、壬生城と城下が描かれている。寺社、道、寺院、侍屋敷、町屋の位置は明確に区切られており、本丸、二の丸、の周囲に侍屋敷を、城郭を取り囲む形で町屋が配置されている。本図には、追手門及び三日月堀(馬出)が描かれているので、松平輝貞(元禄年間)の壬生城改修後に作成されたものと思われる。
 
 
16.下野国壬生城図 国立国会図書館蔵

 全体の構成は、町内各家に伝わる系統の絵図に近いが、内容的には全く別の系統と言える。平面図の上に門や土塀などを立体的に表し、彩色を施したこの絵図には、追手門から本丸への道筋や二の丸などに、他の絵図には見られない細かい描写が見られる。しかし、東郭や正念寺郭の形などに、実際とは異なって描かれている点もあり、どれだけ真実の姿を伝えているか、疑問が持たれる。
 
 
17.下野壬生城図 鳥居正一氏蔵

 この図は、鹿沼市鳥居正一氏蔵のものである。本図には、鳥居侯の家臣の名前が描かれており、その名前から考えると宝暦年間時の屋敷割図とも考えられる。
 
 
18.下野壬生城図 山田良次氏蔵
この図は、鳥居氏蔵の写しである。

19.壬生城絵図及び本丸、二の丸、三の丸規模書上 鳩山邦雄氏蔵

 この図は、壬生城三の丸土塁の麁朶垣を柵に取り替えるため幕府に差し出した伺いの控図。また、文化5年(1808)の本丸、二の丸、三の丸の規模を知る貴重な絵図である。
 
 
20.見聞控之帳 粂川誠市氏蔵

 「見聞控帳」は助谷村名主粂川半兵衛の手記である。嘉永7年(1854)の手記には、嘉永6年の壬生城下の大火(伊勢屋火事)について詳細に記録されその中に、壬生城追手門及び東郭付近がスケッチ風に描かれている。
 
 
21.壬生城本丸指図 水口町立歴史民俗資料館蔵

 この図は、水口町立歴史民俗資料館の加藤家文書に収められているもので、本丸御殿全体の詳細な実測図である。壬生城本丸の内部を描いた絵図で、建物の配置がわかる貴重な史料である。なお、本図には他の壬生城図には見られない東門が描かれているが、この門の存在は発掘調査により確認されており、この絵図の確かさが裏付けられている。
 
1)壬生領史略に描かれた壬生城
 「壬生領史略」は、壬生藩士であった多賀谷家に伝来したもので嘉永3年(1850)に碧山季美なる人物によって編纂された壬生領の地誌書である。「壬生領史略」に書かれているさし絵の内壬生城の姿を伝えているのは、次の5枚である。
 
 
◆追手(大手)を中心に東郭の東縁部を描いている。
大手御門広小路之真景

◆東郭南東隅から下台郭東虎口まで
大手御門広小路之真景 其二

◆南門付近の三の丸南縁部下台郭北西部
南御門松並木

◆二の丸北西隅付近及び三の丸西部
弁慶塚

◆二の丸北西部
精忠神社

22.〔多賀谷キワ氏蔵〕

 
2)壬生城追手門の描写
 
 ここでは、「壬生領史略」「精忠神社蔵壬生城絵図」「日光道中壬生通分間延絵図」が描いた追手門を紹介する。
 
◇形式
・櫓門
◇下層
・柱間では、正面が5間、側面が2間である。
・正面5間のうち中央の1間に大扉、両脇に脇戸。
◇上層
・正面に5ヶ所、側面に2ヶ所の窓。
・窓の上に長押を見せている。
◇屋根
・入母屋造り。
・大棟上に鯱。
壬生領史略 多賀谷キワ氏蔵

壬生城絵図 精忠神社蔵

重文 日光道中壬生通分間延絵図 東京国立博物館蔵

壬生城追手門推定復元図